昨日は一日中、窓の外を笛の音のような風邪の音がひたすら鳴り響いていた。人を萎縮させ、怯えさせると言うか、まるであざ笑うような、お前、もし外に出る気があるなら出て来いよ、と挑発されているかのような、なんとも耳障りな、小賢しいような音である。それに抗するがごとく、何事もないかのような態度で、夕方になる前に着固めて外に出た。一番近いスーパーに買い物へ。でも出てみたら、たしかに冷たい北風だがそれほど凶悪な寒さでもない。日差しがあるので、むしろ快適に近いくらいかもしれない。今年は寒い、のは間違いないけど、寒い、の中にも色々段階があって、寒いけど中の下か中の中くらいの、まあそれなりに平凡な日常みたいな様相が垣間見えるような、中学生が受験シーズンを迎えて自分の現実を見ているような、ああそういえば、だとしたら今年はもしかすると1987年なのだろうか。今これが、あの年の冬に似ているのだろうか。いや、それどころか、あの冬そのものなのだろうか。つまり僕と同じような中学三年生が、今その夜風に吹かれて家に帰ろうとしているのか。だとしたら、僕はその彼なのか。みたいな。いくつかの冬の記憶が続けて湧き上がってくるかのような。


その後、真夜中になって、かえって眠れなくなってしまう日だった。蒲団に入ってからいつまでも同じ姿勢のままで耐えていたが、やがてiPhoneをぼやっと光らせたり寝返りをうって掛け布団がねじれてムチャクチャになったのを直したりしているうちに、一時間も二時間も過ぎていって、ああーあ、今日もまたこのパターンかと思ってウンザリする。でも睡眠不足にはもう慣れてしまった。日中あまり支障を感じない。行きと帰りの電車で気絶みたいに眠ってしまうくらいのことだ。でもそれでもやはりこうして眠れない感じは嫌なものだ。ところがやがて、起きているとも眠っているとも言えない、その中間にじっとしているかのような時間がおとずれた。これは、今がそうだとリアルタイムで認識しているわけではないと思うが、今眠っていたと気付くわけでもない。今この瞬間を意識しているのだが、それが、起きていると確証をもてない感じなのだ。あるいはこのまま朝になったら、自分は寝ていたことになるのか起きていたことになるのか、本気でわからないと思った。もしかしたら、いつまでもこうか。だとしたらそれは…などと思って、そのうち、はっと気付いたら朝である。通常の眠りに入ったのだ。では、さっきのは単なる勘違いか。いやでもあれはあれで、この年齢だから経験できるような、身体の半々々々覚醒状態ということかもしれぬ。でも、起きた直後の、とりあえず苦痛に近いような眠さ、というほどではない。でも鉢植えから植物を無理やり引き剥がすかのように、自分を寝床から立ち上がらせるのはいつも陰惨で残虐な行為をしていると感じてしまう。睡眠不足に嫌悪をおぼえるのは、起きたばかりの自分が自分に対して行う仕打ちが端的に陵辱であり拷問だからだ。それは暴力である。非道であり、無関心の刃である。明日以降の自分に対して不義理を働く毎日を、お前はいいかげん恥じるがいい。