努力の甲斐なく終わらなかったので、明日も出勤する。今回のタスク遅延は、原因の公式見解としては、まあよくある一般解の一つで通る話ではあるが、現実問題として、ああ、自分の頭が悪いからだなあというのが、ひたすら重く在った。要するにプログラミングで、古い技術でライブラリとか無いのでひたすら手でコーディングしていく系なのだが、自分は昔から、手軽だし事前学習の必要性があまり無いような、そういう類の技術が好きで、好きというよりそれしか知らないので、要するにアマチュアプログラマ的な態度のよろしくないスタイルがかなり根底にあるのだが、追い込まれると結局、自分の頭のスペックの問題になってくるあたり、絵に描いたようなオチがついたという感じではある。自分の頭は、悪いのかどうかは、自分にはわからないけど、ただ少なくとも同じ課題を出されたら、これを一日でクリアするような頭脳も現実に存在するんだろうなというのは、容易に想像できるので、それに較べたら、どう考えても自分は頭が悪いのだという結論になる。まあ、でも、まあ、こんなものだろうね。ほんとうに、この程度のことはたぶん、さーっとやってしまえる人よいうのは、いくらでも実在するんだろうな。


というか、「恋愛論」を読んでいてもそうなのだが、結局、自分が駄目だから、自分が駄目なのだということだ。幸福になってしまうということの力だ。それも頭のよさの問題だ。馬鹿ではだめなのだ。僕はもう、幸福になってしまう力をもつ人を好きだし、そういう人がいいよと今後も言い続けたい。少なくとも小説は、そこを甘く見ている人間が書いたものは、絶対に大したものにはならない。そのことを実感している。中年になって、手を抜いていい箇所を知った、と、思っていたのだけれども、どうもそれは勘違いだったのじゃないかと最近思いはじめている。もしかしたらこの後の日々、なんだかまた、二十代みたいな時代がやってくるのだろうか。