仕事とか、人間関係とか、いきなり不幸や不運が身に降りかかってくることもあるし、どうにも上手くいかない状況が続くということもある。そのとき、そこには何の理由も原因もない。何らかの因果の末にそうなったわけではない。たまたまそんな状況になっているだけだ。しかし、当人にしてみたら、そう簡単に割り切れるものでもないから、どうしてもつらい思いをする。悶々としたり鬱々としたり、苛立ちや怒りや悲しみを感じたりする。
しかしたとえば、僕の父親などこの前久々に会ってあらためて思ったけど、芳しくない状況下において、辛い思いをしたにしても、悩み方が鬱々とか悶々とか、そういう風には絶対悩まない人なのだろうと、様子を見ていてそう思った。悩んで悩んで、内向して、たとえばうつ状態になるとか、それで自殺するとか、そういうことはありえないタイプなのだと思う。苛立ったり、怒ったりするだろうけれども、内向する要素が少ないというか。もちろん本人ではないからわからないけれども。
ということは、息子のあなたも、その血を引いているから、自分も強い、と言いたいわけだね。
いや、そうではない。何が言いたいのかというと、僕はそういう種類の人間を、遠まわしに、馬鹿だと言いたいのだと思う。でもたしかに、僕も馬鹿に近い部類だとは思う。でも、正直それは、よくわからない。内向しないから馬鹿だというのは、如何にも単純で、そんな大雑把な言い方も酷いと思うが、なにしろ父親は、たぶんそういう意味では壊れにくいのだろうと思う。というか、あの人は正直、僕の理解を越える。まさに同じ言語ゲームが適用されない他者という感じがする。親子なんて、誰でもそう感じるものなのだろうけど。それはそれで、もしかしたら僕も状況によっては、うつになるかもしれない。そういう可能性が、ぜんぜん想像できないということはない。そう言ってる時点で、その可能性はないかな?いや、そんなことはないと思う。そっちへ向かう道が、ぼんやりと見えるような気がするときもあるのだ。でもこういう言い方こそ、もしかすると父親の言い方、ものの考え方に酷似している可能性もある。だとしたらほとんどコメディだが。ただ自分の若い頃のことを思い出すと、結局僕は三十代以降の生活改変で、そういうリスクを回避しようとしたのかもしれないから。つまりそれで自分の能力に見切りを付けたということなのだろうから。しかし、それで若い頃というものが完全に封印されたというわけでもない、ということも感じるのだ。むしろいつでも簡単に回帰してくるのかもしれないのだ。自分は自分の内向していた時代をなつかしいと感じるし、その頃の自分の世界に旅行に訪れる観光客のような気持ちがあるのだが、それこそ甘い幻想で、それは旅行地ではなくて確固たる自分の出身地かもしれない。
でも心身の健康のためには、いつでも自分が自分にとっての旅行者であるほうが良さそうだね。