拝む


神社に行ったとしても、手を合わせない、手を合わせる理由がない、手を合わせる行為をすることの意味がわからない、そんな強い反抗とか拒否の意ではなく、単にする必要を感じないからしない、という話をしたら驚かれたので、それなら、手を合わせて目を瞑って静止しているあの時間を、大体何秒くらいと決めてるんですか?とたずねたら、そんなの決めてないですよ、そのときはお祈りしてるんじゃないですか、願い事を唱えてるんですよ、と言う。そうなんだ、すごいですね、僕はそんなの、とてもまともに没入できないな、たとえばお葬式とかで儀式とか、畳の上に両手をついてお辞儀するとか、ああいうのがサマになる人っているじゃないですか、ああいうの立派だなと思いますよ、僕なんかはそういうのが、我ながらほんとうにサマにならないと感じますからね、と言うと、あきれた人ですね、そんなこと考えてお葬式に参列してるなんて、周りじゃなくて目の前の故人については何も考えないんですか、と言われる、うーん考えてないかも、と答える。


いや、故人は人間を超えた存在になるというのを、少し信じている部分はある。だから僕のそういうセコイ心の動きも、きちんと見透かしてくれている。もしそうだとしたら、それこそありがたいじゃないですか、と、それは相手に言ったことではなくて、今思ったこと。