誰男

とりあえず本日の記述はどうすればいいのか。火曜日の夜2/5の出来事があり、それを翌朝2/6にFさんの記述で読み、同日自分も書き起こしを始め、翌日まで掛かり、夜すなわち2/7(木)深夜に更新した。その数時間後つまり翌朝、Fさんは2/7付の記事を更新していたかと思う。Mさんはそれからほどなくして2/4をようやく上げたのだったか。このあたりのタイミングはやや記憶があいまいだが、なにしろ対象の同一性が、このことでぐっと前に出てきたような、皆がたしかに同じ場と時間と空間を、共有していたのだねという、そんなシンクロ感をひしひしと感じ、しかし同時に、それはまるで現実とは異なる位相空間の出来事が、優しき配慮でとりつくろわれて事後的にでっちあげられたかのようでもあり、さらにそれを僕も含めた各々が各々のやり方で言葉に書き表していくという、ほとんど何度もバック・トゥ・ザ・フューチャーで二日前に戻ってその時間をやり直してるみたいな、そんな前代未聞の不思議な時間を、あれ以降ずっと感じていて、で、これは本来、それを読んだ翌日の土曜日に書くべき言葉ではあるのだが、こんなことははじめての経験だったけれども、Mさんの書いてる内容を読んで、あれ、今、僕が読んでいるこれは、Fさんが書いてる内容だったか、Mさんが書いてる内容だったか、その文体のあまりにも明瞭な違いが意識されているにもかかわらず、一瞬それを見失うような瞬間があった。それはここ数日の流れと、それを追いかける複数の記述が併走していたことから来る錯覚だろうが、なにしろ、こんな錯覚はふだんならありえない、今まさに今だからこそ見られる特異な現象だろうと思った。

そして現時点においてMさんはすでに帰郷しているはずだが、文章的にはまだ東京にいる。このことをどう考えればいいのか、冗談ではなく今週はずっと彼が二重の時間をディレイで存在しているかのように感じている。今でもまたMさんは深夜の新宿を歩いてるような気がする。