信じる

信じるというのは、能動態でもあり受動態でもある。信じる=信じてしまうだ。他人からなんと言われようが信じてしまう。その時点で、信じてない状態に戻る自由は失われている。
じつは芸術もそうだろう。芸術というのはある意味、どうしても信仰と見分けがたいものがある。芸術という概念を信じる信じないの話ではなく、この作品を良いと思う思わないの話だ。これを、良いと思うというのは、どう考えても良くないとは思えないということだ。それを否定する自由が、すでに自分の中にないのだ。
わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない、などと言いもする。ただし芸術も信仰も、門をくぐりたいと思う人を拒むことはなく、よって受動的に信じさせられていると同時に、より信じたいと願うようなことでもある。そのために、何度でもくりかえし試す。わからなさをわからなさのままに耐えながら、追いすがるようにして、あきらめずに毎日くりかえし祈る。
それは「善人になりたい」と願うようなものかもしれない。私が、善人になるための努力をしたとして、それで私がほんとうに善人になれたかどうかは、私に判断できることではない。