久しぶりに千住新橋を歩いて渡った。天気も良かったので余計に、橋から見下ろしたときの野球場グラウンドの芝生とトンボできれいにならされた土の色がおそろしく鮮やかだった。この橋の柵はとても低いように自分には感じられて、高所が嫌いな自分にとっては端を歩くのがためらわれるというか、正直なところ橋の下を見るのはかなり勇気が必要なのだが、それでも下に広がる景色には見とれてしまう。広さ、巨大さ、遠さ、光、色が一挙に在ることの現実に、息をのむほどだ。何というか、一種の無重力体験に近いのかもしれない。空っていいなあ、落ちるから死ぬけど、やはり空中は魅力あるのだなと思う。

白い鳥が、健気に羽根を動かしている。荒川の流れから数メートルほどの高さをひたすら飛ぶ。やがて橋の下を潜り抜けて見えなくなる。しばらくしたら今度は我々の頭上のはるか上を、反対の方角にすーっと飛び去っていく。少しずつ高度を下げながら遠ざかっていき、かなり遠くまで行ってから、ある場所でいったん空中に静止したかのように見えた。羽根を動かさずに風を受けて、そのままゆっくりと水面に降りていくかのように見えた。そして、本当に着水した。水上に白い身体を浮かべて休んでいるように見えた。

あー、鳥ってすごいわ。今の一連のアクションは想像を絶するものだ。上下左右、向こうの消失点に近い位置からまるで反対側の同距離に至る、我々を取り囲んでいるこの空間を余すことなく使って、さっきのは、いったい何百メートルもの距離に値する移動だったのか。彼らの視界でそれを見たいというよりも、移動する彼らの感覚自体を経験してみたいものだ。彼らにとって地面や水面というのは自分の空間のある一面だけに存在する壁のようなものか。そこから描くことのできる可能性をいくつも試すかのように彼らは飛行運動を日々試行しつつ自らが生きていることをたしかめているのだろうか。