犬や猫の、愛嬌や可愛さ、幼児のような天真爛漫な愛すべき愚かさ、はかなくて、か弱くて、人間を惹きつけずにはおかない魅力、それは彼らが、最終的には人の力を借りずには生きていかれない存在だから、人間に愛され、庇護されながら生き延びるため、発達させた能力の一種なんだよ、とあなたは言う。
しかし犬のタロウが、そんな風に自覚しているわけもなくて、一日一日をせいいっぱいの力で生きているだけだ。それを上から目線で「相手に媚びた打算的な態度」だなんて言われても、そんなのはタロウにとって、まるで身におぼえのないこと。
犬のタロウは、ご主人様が好きだから、傍にいるだけで嬉しくて嬉しくて、近寄ってその身体につかまろうとして、それを見たみんなが、タロウを可愛がって、頭を撫ぜたり、身体にさわったりするから、それがタロウはいっそう嬉しい。
タロウはご主人様のことを思うだけで、思わず口元がほころび、嬉しさで胸の中がいっぱいになって、やがてその後で、なぜか悲しくて涙が出そうになる。
タロウはご主人様の側に寝そべって、ご主人様の話を聞くのが好きだ。ご主人様は、タロウが来る前にも、別の犬を飼っていた。その前にもまた別の犬がいた。いくつかの、出会いと別れの経験があった。ご主人様が知っている、かつてのなつかしい犬たちを思い出しては、タロウに話して聞かせた。
しかしタロウにも、自分自身の思い出があるのだ。自らの過去があるのだ。タロウはその思い出を、自分の胸に大切にしまっている。
タロウはときおり、不思議に思うのだ。自分にも、ご主人様にも別々の過去があり、別々の思い出があるのに、どうして自分はご主人様をこんなに愛していて、ご主人様も自分を可愛がってくれるのだろうと。自分とご主人様はもしかしたら、お互いを見合っているつもりで、実はそれぞれ別の何かを見ている、見たいものを見ているだけなんじゃないかと、そんなふわふわしたかすかな不安にとらわれたりもするのだ。
でも、それで幸せだからいいのか、ご主人様が幸せそうにしているなら、もしそう見えなくても、ご主人様の心の中に、ほんとうに幸せが入っているなら、それでべつにいいのか、とも思うのだ。