ワクチン接種会場として、選挙の投票会場として、あるいは災害時の避難先として、体育館をおとずれる、あるいはテレビで見る。
この先の自分だって、体育館に寝泊まりすることになるかもしれない。もしかすると体育館が、終の住処になるのかもしれない、そんな生活が、ありえないわけではない。
子供の頃の、出来たばかりの市民体育館、踏むとキュっと高い音のする、ピカピカに磨き上げられた床、高い天井から吊り下げられた照明器具の狂ったような光の非現実な明るさ。ある特定の目的のためにつくられた専門の場所が、この世界にはある。
自分が床に仰向けに寝そべっていた。照明の光であたりは昼のように明るくて、腕を上げると、薄い半透明な影が少しずつずれて床に映る。たぶん会社の人たちがバレーボールをしている。磨かれた床が水面のようにツルツルで、バレーボールをする彼らや周りの景色が逆さまになって丸ごと映り込んでいる。ボールの跳ねる音、運動靴で床を踏む音、それらがべったりと床に付けている自分の頬を伝わって、叩くような衝撃になって頭の中を揺らす。
紙数枚分の厚みをもった機体に、かすかな湾曲をもたせた羽根が接着剤で取り付けられている精巧な紙飛行機だ。それを手に持った子供が、体育館の二階へと上がる。上から投げられた紙飛行機が、まるでおどるように優雅にきれいな放物線や曲線を描きながら、ゆっくりと落ちてくる。