吉行淳之介「食卓の光景」。食について書く、食通と思われるとか思われないとかの自意識問題から始まって、安価で簡単な料理の美味しさと、高級料理の美味しさの、状況や感覚による感じ方の違いとか、女性との食事に潜在するエロティシズムとか、場違いな高級店に間違って入ってしまった若者の必死に己を取り繕おうとする苦難だとか、わりととりとめなく続いて、どれもよくある話で、とりたてて面白いことが書かれてるわけではないのだが、ただ書き方がやたらと上手で、つい引き込まれてしまう。いくつかのモチーフが、いずれもまったくありふれたものだとしても、何に着目してどう書くかで、これほどまでに面白いものになる。それは書かれていることの面白さではなくて、あるリズムというか、言葉のつらなりによって運ばれていく感覚の心地よさと言った方が近い。うーん、上手いわ…と感心するような作品。とくに後半の、高級店で焦燥する若者を観察する場面が、じつにすばらしい。気の毒に思う部分と、興味本位な部分と、哀れさと可笑しさ、さて彼の運命や如何に…な部分との、絶妙な配合の仕方で、必要以上に昂らせることもないが、かつての自分をかすかに想起しつつ、すでにそのような焦燥の時代を過ぎた中年の視線で、客に対応する従業員の女性をとらえた細やかな描写も含めて、じつに端正に描きだされている。すべてに過不足のない、こういう心地よさを生み出す力こそが、すぐれた小説家とのもつ能力なんだろうな…と思う。終盤の、主人公の想像上で起こる若者との対話もじつにいい感じで、小説における対話って、こういうふうに作るものか…とつくづく思わされる。