「約束と違うじゃないか!」との言葉に対して、「あーそうですね…すいません」とこたえるのは、自分は若いときは、たまにやっていた。相手と交わした約束とか、相手が大事に思ってそうなこととか、そういうのを無視したり踏みつけたりしたこともあった。露悪的な、ことさらの態度でそうするのではなくて、ほんとうにそのことの重要性をわかってなくて、そういうことをした。社会人として、人間として、常識としてもちあわせているべき要素を、たぶん欠落させていたところがあった。たぶん若いうちなら、多かれ少なかれ、誰もがそんなものとも言えただろうし、それにしても度を越えたひどさとも言えた。
今、誰かとの約束をやぶるとか、今の自分が、そういうことをするのは、逆にとても難しくなってしまった。うっかり忘れてしまうことはあったとしても、なんとなくうやむやのうちに無かったことにするとか、それで他人からどう思われようが寝ざめの悪さをまるで感じないとか、そういう図太さ、無神経さ、無責任さ、あらゆることに非当事者感覚のまま生活を続けてしまえる力を、今やすっかり失くしてしまった。出来るか出来ないかをあらかじめ見積もって、可能ならやるし不可能なら断る。それで双方干渉なくやる。やれるかやれないか、わからないけど、とりあえず約束だけしてしまって、後で出来なかったらそのままでいいやみたいな発想をちょっと出来ない、そんなことをしたら、相手からの、世間からの、自分自身からの報復が怖い。それだけ何十年か掛かって、僕もすっかり統治された。
約束事とか、けじめとか、に、信じられないくらいだらしなくて、まったく話にならない、もはや相手にするのも無駄みたいな、そうでありながら、底抜けの優しさと慈悲深さをもっている。そういう人間も、この世にはいるだろうと思う。というか、そういう人間こそ、ほんとうに優しくていいヤツなのかもしれない。しかし大多数の人間は、そういうのを目指さない。