表情

ものんくる 無観客配信LIVE「LIVE FROM NIHONMONO LOUNGE」を観た。ドラムは打ち込み、これまでとは少し違ったアレンジ、音数控えめ、楽曲の骨格がより浮き出たようなシンプルな印象、そんなバックトラックに乗るボーカル吉田沙良の、なぜかちょっと煤けたような、不思議にささくれだったようなざらついた存在感、全体的に新鮮な感触。

演奏の映像を観るというのは大抵の場合、歌う人の歌を聴きながら、歌う人の顔の表情を見るということである(カメラが歌い手に寄るなら)。大昔にジミヘンのライブ映像を片っ端から買っては観ている時期があって、そうなると日々、昼も夜もジミヘンの顔ばかり観ることになる。68年のブラックプールのジミ、69年ウッドストックのジミ、70年ワイト島のジミ、それぞれの演奏の違いにぴったり貼りつくようにして、それぞれのジミの表情が思い浮かぶ。それはそのときの歌い手本人の気分のようなものとして放射され、受け止める音になにがしかの影響をおよぼす気がする。ご機嫌な顔をしているから演奏も少しご機嫌に聴こえる、といったような単純な話でもあるだろうが、それだけでなく、むしろ浮かぬ顔のご機嫌斜めな表情で、自分のパフォーマンスにけして満足できてなさそうな表情でありながら、かえって端正で余計なものをあきらめてしまったかのような、それがある種のこざっぱり感をたたえた音に聴こえたりもする。いずれにせよ同じ歌い手の歌に連続して付き合うというのは、その表情の変化に付き合ってることに近くて、彼らの気分の変わり方を一方的に受け入れているだけ、みたいなことでもあるかもしれない。