同じ図柄の絵が、左右に隣り合って配置されている。二つの絵の上辺に黒丸が打ってある。絵の上のそれをじっと見つめる。すると、やがて黒丸が滲んでぼやけたようになって、そのまま四つに分かれて、それが中央に寄って三つになる。そうなるまで、ひたすら目をこらして、ここぞというとき下の絵に視線を移すと、二つだったはずの絵が、きれいに三つ並んでいて、真ん中の絵だけが、やけに鮮明に、立体的な奥行きをもって見えている。これがステレオグラム(交差法)だが、最近そんな図柄がいくつも出ている本を買ってきたので、たまに眺めている。これを一日何十分かやるだけで、視力の維持に良いらしい。
図柄のさらに向こうへ視点をもっていくのが平行法で、図柄の手前に視点をもっていくのが交差法だけど、これは個人差あるのかもしれないが、自分にとって平行法は、ほぼわけなく見えるのだが、交差法が、かなり厳しい。まばたきも我慢して、ぐっと眼差しに力を込めて、それを見ようと試みても、左右二つの図柄が、ゆっくりと真ん中で一つになろうとする手前で止まってしまい、あとはどんなに努力して目を凝らして視線の位置を変えようとしても、図柄は頑として動いてくれない。たまに、右だけがかろうじて中央に移動する気配を見せることもあるのだが、左側はまるで静止したままだ。
ああ…若いときなら、こういうことは決してなかったなあと思う。まだ子供時代から視力のことなどまるで意識しなくてすんでいた年齢まで、ものがぼやけて見えたり、何重にも重なって見えたりするのは、いずれも完全なステレオ同期によって生じていた現象だったはずで、自らの視力性能を鑑みる必要なんかまるで感じなかった。まさか左右の動きがズレたり思ったように動かないだなんて、まるで機械の不調みたいなそんな経験は、昔なら思いもよらなかったことだ。
まあ年相応というだけのことだが、なおも往生際悪く、いつまでも努力を続けていて、それでも一向に立体視にならないまま時が過ぎていくばかりだ。しかしそうこうしてるうちに、気づけばなぜか、鼻の通りが良くなっていることに気づいたりする。眼の筋肉に対する連続した指令が、どういうわけか鼻孔の奥に作用したのか、妙にすーっと呼吸が通りよくなってたりする。