キャリアイメージ

日曜日の午前中、誰もいない会社にひとりでいると、居室内はサーバー機器のファン音がかすかに響いていて、外の喧騒は窓ガラスを通してかすかに届いていて、春の眩い光だけが、遠慮なくなくめいっぱい室内へ注ぎ込んできて、窓際の席から交差点や歩道を行きかうたくさんの人々の様子を見下ろしているのが、なぜかのんびりとした気分のままで楽しくて、このままいつまでもそうしていたい誘惑にかられるのだった。

小さな会社に勤めて、小さな事務所にこうして仕事もせずに座っている。それを無意味だが小さな享楽に思っている。大きな会社の大きなビルだと、なんかこう、さすがにこうはいかない。雑居ビルでないと、この快適さはないのだ。

そもそも昔の自分が会社員という存在を想像するとき、それはどちらかといえば傾いたような薄汚れた事務所の片隅で働いてるよれたスーツの冴えないおじさんのイメージで、しかもその姿はすこし望ましいような在り方の人物として自分には感じられて、…というかこの年齢になって、すでに二十年以上働いている分際で、いまだに会社員という存在のイメージを、あたかも架空の選択肢を選んだかのように頭に思い浮かべている自分は、いったい何者なのかという話でもある。

想像と現実はすでにぴったりと癒着してしまったはずで、今の自分が、すっかり未知への想像を広げる余地なく、良くも悪くもリアルな現実を生きている、そのような存在になっているのかというと、そうとも言えるような、いやそれとはまたちょっと違うとも思えるような、しかし今日のような日差しが窓から入り込んでくる空っぽの会社のオフィスにいるときは、ああこれをかつて想像していた、というか、はっきり予想してたのだな、とは思う。