自分の年齢を逆算して、考えるべきことと、もう考えなくてもいいこととをふるい分ける。そんなふるい分けが出来るなんて、なぜそう思えるのかわからないけど、勝手にそう思い込んで、線引きしてしまう。そしてもう考えなくてもいいことについては、考えたり悩んだりすることをやめる。やめてしまえるだけの、こころの状態を得る。安心とは、そういうことだ。
物事の説明がついたことの満足感。それは説明がつかないことに対してはあきらめてしまえる、それに執着しないでいられるということで、それと引き換えに得られるものだ。安心とは、そういうことだ。
もともと歓びには根拠がない。むしろ根拠がないからこそ歓ぶことができる。かえって歓びをあきらめることで得られるもの。安心とは、そういうことだ。
歓びとは根拠のない期待だ。期待はそれ自体で歓びだが、裏切りや叶わないリスクと裏腹だ。そのリスクを抱えるくらいなら、はじめから歓びを手放してしまう。安心とは、そういうことだ。
安心とはつまり、悲しみとか、不幸とか、退屈とか、怠惰とか、そういうもので身をかためることだ。
rejoice!は、どこにあるのか。それを探さなければ、ちょっと真剣になって、あらためてそれを探さないといけない。
若い人は「このまま年をとって死ぬなんてまっぴらだ」とか、本気で考える。それを真に受けて、本気で考えなければいけない。