脚本・監修:高橋洋「女の決闘」(2023年)を観る。
https://www.youtube.com/watch?v=kYUSO6Wy3fc
冒頭で、これはまさか三人が三人とも、お互いの姿を見えてないのか、それぞれ別個にひとつの空間を重なり合って共有している状況なのかと思うも、別にそうではなかったようだ。しかしどこか、不自然で不穏な気配は、いつまでも消えることがない。
決闘で敗れたのは愛人のほうだった。しかし、決闘は翌日ふたたび繰り返される、というか一度目の決闘は、愛人の見た夢だった。しかし死んだと思った愛人が、翌朝に当然のごとく登場するので、その虚実の曖昧な感じは強く残るし、二度目の決闘もあれを現実と受け止めるには難しく、妻は決闘の果てにではなく、絶食し母の遺骨を抱きしめたまま息絶えていて、そもそもこの映画をみている自分の、これら一部始終が、いったい誰の意識を根拠に知覚された世界なのかが、時間を経るごとに心許なくなる。
妻の主観からあふれ出した外側の力に、彼女らや彼全員が翻弄されているかのようでもある。棺桶から起き上がって、ひとしきり歩いてのち、ふたたび倒れ伏す妻も、その記憶の底で彼女を苦しめているだろう亡母も、そのまま家を出て二度とは戻ってこないだろう夫も、彼らはまるで、個々の生死や個別性に遁着せず、勝手に映画の周囲を彷徨っていて、それを仮につなぎとめる役割を、最終的には愛人の女が、暫定的に担った、それがこの映画の結末であると考えるしかないように思う。