数日前から紅葉が本格的になってきたようで、全体のところどころが色づいている感じの木々が多い訳だが、しかしその色づきが如何にも唐突というのか「紅葉」と聞いて人間が喜ぶ按配を良くご存知なのでは?と疑われるような感じで、まあとにかく大変キレイなものだ。まるで鮮やかな赤や黄色のペンキを上空からいい加減にぱっぱっぱっと散らしてまぶしたかのような、ヤケにそのまんまの「色」が木々の前に点在してる感じ。
森美術館の「六本木クロッシング」を観た。予想よりもかなり面白くて楽しんだのだが、帰りは何故か妙に不機嫌になって押し黙ってしまい妻をやや困惑させるという何度目かのパターン…(笑)。でも幾つかの作品はとても良いと思ったし、以前記憶にあった結構良い感じだと思ってた作家の作品が、他が総じて良いために相対的に色あせて見えてしまったりとか、色々と面白かった。でもとにかくどの作家も、そこで考えている事や目指そうとしている事にいちいち共感できる。そして、それを実現させるためのテクニックやセンスも非常に高いと思う。思わず「うまいなぁー」とか思ってしまうし、技法や形式や活躍のフィールドを越えて、それぞれが単線的な面白さではなくて、そこで保留する、そこで溜める、そこでずらす、そこでむしかえす、その部分にだけ異様に拘る、直ちに身を引き離す…などの振舞いや手つきとかにも、何か、相通じる共通性があるし、それらを観続けていて大げさに云うと「同時代を生きているんだ」という感触めいたものすら感じる事も出来てしまうかもしれない…でもそれはたぶん最悪の感想だろうけど。
結局、実際自分自身が一体何を観たのか?が結構わけわかんなくなってくるのだ。楽しむのはいくらでも楽しめてしまえるが、楽しければOKってのも芸が無いしなあ…と思って、色々ごちゃごちゃと考えが巡り巡って、結局、観終わった観客の態度として最も適切なのが「不機嫌に押し黙る」という事になり、妻が困るのであった。
帰ってからハワードホークス「コンドル」CS録画を観る。ジーン・アーサーが一時滞在の場でしかない筈の辺鄙な飛行場で、ケイリー・グラントに惚れてしまってその場に居付こうとしてたしなめられてるときの…「違うのよ。…荷物を降ろさせて、船を降りた女は、もう私の知らない女なのよ、それが私自身なのか別人なのか…昨日までの私はもう遥か彼方の海の上で眠ってるわ!」…なんてセリフが出てくるので「うぉー!すげえ」と喜ぶ(笑)。こりゃたまらん。最高ですね、というしか無い映画であった。素晴らしい箇所は多いけど、やっぱケイリー・グラントとジーン・アーサーのやり取りが、全体の中で決して多くはないけど好きだ。自分を慕う女性の不意の行為に虚を付かれて一瞬思考停止して、そのあと若干説教気味に、気の利きまくった会話に流れ込むあたりとかが、とても良い感じだった。
で、これを書いてる今、ハッキリと言える事は、今日一日を終えようとしているこの僕は現時点で、完全に風邪をひいた、という事です。。