DVDで小津安二郎「秋日和」(1960年)を観る。岡田茉莉子が主演ではないけど、ほぼ主演級というか、結果として岡田茉莉子がすべてを喰ってしまうほどに圧倒的。
おせっかいにも他人の嫁ぎ先だの母親の行く末だのを興味本位、面白半分でああだこうだ言う佐分利信、中村伸郎、北竜二の三人衆が、ろくでもないおっさんであるのは言うまでもない。彼らは社会的に高い地位を得ており、とくに生活上の問題もなく喫緊の心配事もなく、ただ退屈を紛らわせるネタとして、また過去の思い出に自身が慰撫されたいがために、司葉子や原節子のことを気にしているような男たちである。
佐分利信、中村伸郎、北竜二、それぞれの裕福そうな家庭があり家族の様子が示され、その一方で、夫亡きあと服飾系学校の講師をしながら娘と二人で狭いアパートに暮らしている原節子の、決して裕福には見えない生活の様子が映し出される。ごく当たり前のように二層の生活水準が映し出される。
それを繋ぐというかその二層を行き来するのが、江戸前鮨屋の娘で、司葉子の会社同僚でもある岡田茉莉子だ。「こういう町寿司のほうが意外と美味いんだよ」とか、中村伸郎が他意なく言うのがまた感じ悪いのだが、岡田茉莉子はそんな言葉にも「町寿司で悪かったわね」と屈託なく返す。そんなおっさん三人衆のところへ岡田茉莉子が乗り込んでいく場面の素晴らしさ。カッコいいスーツを着て、バッチリメイクで、踵の高い靴をキュッと言わせて、こうなったら戦争も辞さない、その意気込みで、難攻不落の老獪な老人連中を前に、たじろぎもせず完全戦闘モードで挑む。
諸事諸々、事が上手く運んだのは、岡田茉莉子のおかげでもあるけど、彼女の物事をはっきりと黒白付けるやり方に、母と娘はそれまでお互い触れずに済ませてきたことに、嫌がおうにも向き合わざるを得なくなった、そんな側面もある。原節子の「じゃあ私、邪魔ね?」との言葉に、岡田茉莉子もまた悪びれもせず「うん、ちょっと邪魔かな?」と応える。この屈託なき残酷さ、こういう人物のおかげで物事は進行する。ただしそれで万事問題無しと決めてしまうわけにはいかない。原節子のかかえる寂しさを誰も知らないし、彼女をその寂しさから救い出せるわけでもない。それは決して表にあらわれないので、誰にも気づかれないけど、彼女が常に彼女であるかぎり、それはいつまでもそのまま在り続ける。そのことを忘れないでいたい。