カラダたちよ!


たとえば水に浸して濡れた手を拭かず、手からしずくがぼたぼたと滴り落ちるままに指先を下に向けておくと、ある一定の範囲を中心に大粒や小粒の水の跡からなる濡れた広がりを残しますが、丁度そんな感じのぼたぼたした大きい粒や小さな粒が、全裸の自分のなまっちろいカラダのあっちにもこっちにも、腕やら足やら下腹部やら背中やらのところどころに何の脈絡も繋がりもないまま、大量に満遍なくこぼれて滴り落ちて、惜しげもなく咲き乱れるかのように赤く腫れて膨らみ広がってるイメージを思い浮かべてください。そう。それこそが蕁麻疹(じんましん)にほかならない(申し訳ありません)。


…僕は生まれて初めて蕁麻疹(じんましん)を経験した。それはそれはものすごかった。こういうのが自分のカラダの表面に咲き乱れる日が来るとは夢にも思わなかった。。僕の体は僕の云う事をまるできかないのだという事がよくわかった。っていうか、貧血で救急車とか外耳炎とか今回の蕁麻疹(じんましん)とか…ここ一年の僕を襲った機能不全には本当に自分という「うつわ」の信用なさを痛感させられた。まるでマトモに働けねえのである。僕の「うつわ」は僕の言う事をマトモに聞く気がないのである。今まであんまりこういう事がなかったので余計にそう思う。まあ僕は昔からわりと病弱だったし軽く入院してたりした事も何度かあるけど、それでも逆にその頃の方がむしろ、自分という「うつわ」のスペックについてちゃんと「掴んで」いたような気がする。…今は入院とかいう騒ぎになるようなものは無く、笑えるような軽症状ばかりだが、でもそれがものすごく予測不可能な「掴めない」ような感じなのである。痛みとか苦しみがあればまだわかり易いのだけれど、蕁麻疹(じんましん)に関してはぼやっとした痒みがあるくらいで、ほとんど意識にのぼってこないくらいの自覚症状でしかない。それなのにそれなのに、あなた一度で良いから己が姿を晒し、全身を鏡に移して御覧なさいな。もう、この世のものとは思えないような、安土桃山時代の傑作みたいな絢爛の極地が全面に展開し、なりふり構わず、喘ぎ呻き、雄叫びを上げ、生を謳歌し、膝突き合わせて語り合い、傷を舐めあい、いななき猛り狂っておるのであります。…もう、この世の地獄と盆と正月と正月休みがいっぺんにきました。なので昨日は一日、婆さんが朝一番に山で採ってきた薬草を煎じた苦い飲み薬を飲み干した後、布団を引っかぶってなんまんだぶを唱えながら一日中ガタガタ震えておりました。そしたら今日はすっかり良くなったので、わーいとゆってかいしゃにゆきました。