暑いので冷房下で寝そべり雑誌読み耽る


午前中は外出したが暑いので2時間程度ですぐに帰ってきてシャワー浴びてビールとか出して午後からは冷房をオニのようにがんがん炊いてその下でごろーんと寝そべりつつ読みかけの「新潮」9月号の続きを延々読み耽る。途中食事したり美容院いったりオリンピックのうるさいのに邪魔されつつ水村美苗の「日本語が亡びるとき」を読み終わったのがさきほどだったがこれは超!面白かった。掲載されてる文章は三章に分かれていて内容ではなく感じさせられる雰囲気はそれぞれすこしテイストが異なる。なので一貫した論調の評論というよりは小説とも評論ともエッセイとも言えるような感じである。これは面白いなあと思いながらも、そういえば僕は、水村美苗といえば「本格小説」だけまだ読んでないことを思い出して、これを近いうちに読まなければ!(というか読むならそろそろかも)と改めて思った。なんというか、この水村美苗をいう人の書く文章の、いつまでもいつまでも読んでいたくさせられるような、書き言葉自体に宿る魅惑というのは本当にすごいと思う。それはおそらくつまり、書き手自身がかつて、読書の中でさまざまな作家のさまざまな書き言葉に触れてきて、そこでそのつど、ことあるごとに激しく強く反応したり憧れたり口真似したり、そういう風に感じて味わって「近代日本文学」と呼ばれるような言葉が内側にふくむ最大限の力をそのまま受け止めてきた記憶の堆積があるからなのだろうと思う。だからほんの些細なちょっとした言い回しで、半分シャレみたいなものの言い方をしてるところとかでも、それが単なる息抜きではなくてちゃんとしっかりかつて呟かれた近代日本文学的な息抜きの一言と響きあっていて、ここで唐突にも昔の何かの記憶の言い回しをそのまま使ってその文章の末尾に使いまわしてしまう横着ともいえるようなおかしみというか、その憧憬とか過去の時空へのまなざしまでも含まれてるような、そういう数文字というだけで、もう絶妙に魅力的でたまらない気分にさせてくれる。