ヴュイヤール


先週ポーラ美術館でヴュイヤールの作品を3点ほど観ることができたので、行って良かったと思っている。ヴュイヤールの作品は僕にとっては理屈抜きでいつまでも夢中になって観ていられるような作品である。「画家のアトリエ」というパステルの作品など、パステルという画材を使って可能な、もっとも美しく完璧な成果ではないかと思える程だった。この表情の多様さと複雑さ。ぱさつきとしっとりしたところとの絶妙な絡み合い。形の閉じるか閉じないかのどこまでも解決せずにたゆたう感じ…。もう、こういうの…一番好きなんだよね、と云いたくなるような。…あと「収穫」という絵も良かった。ボナールもそうだけど、緑をとてもうつくしく使ってある絵というのは、それだけで素晴らしいのだ。緑という色彩には最初から、それだけの価値が含有されているのかもしれない。緑さえ上手く使うことができれば、絵はもうそれで良いとさえ云えるかもしれない。などなど。。


…そして、「画家のアトリエ」も「収穫」も、ヴュイヤールもそうだしボナールもそうだけど、とにかく絵の中の出来事が生のままで、どこまでもドロドロと溶けていて、何事も「描きました」の安定性に甘んじていなくて、というかそういう過去に保証された安定性に甘んじたいなら、もう既に20世紀にもなったというのに、わざわざこの私が殊更に絵なんか描く意味ないでしょ?とでも云わんばかりの態度で、別にどういう人間でも良かった筈の、私じゃなくても良かったこの私が、とりあえず私の中で、明確に捉まえないとまずい、それを描かない訳にはいかぬ。その必要があるのだ、という事になってしまって、とにかくすさまじい勢いで絵筆を駆っている。その覚悟の程と殺しても止まらぬ調子付いた勢いの良さと簡単にはふらつかない度量の大きさとフトコロの深さが素晴らしい。


モネやヴュイヤールやボナールたちの作品を観ていると「私がやってる事は、別に私がやらなくても、他の誰かがやってくれても良いのだ」という意識が常にあるように見えなくもない。そういう考え方自体の発見、という意味もあるのかもしれない。モネなんかは完全にそういう境地だったのではないか。そういう境地が可能だというのが発見されて、作品があのようになっていったのかも知れない、と。この後、俺が死んでも誰か続きを引き継いでやってくれねえかなぁ、とか、モネは思わなかっただろうか?ボナールもどうなんだろうか。マティスの晩年あたりになると、さすがに時代も20世紀初頭ではないので、(その間にあまりにも色々な事があり過ぎて)また違う感じだろうけど。


ちなみに常設展示の一角で森芳雄特集をやっているのだが、僕は森芳雄はすごく好きなのだが、それでもボナールやヴュイヤールを観てしまった後に観ると、さすがにあまりにも、こじんまりと小さく趣味良くまとまってしまっている感じで、こういう風に小さくまとめてしまわなければいけないところが、人間界に生きる事の難しさなのだと思う。でもボナールやヴュイヤールの、ほとんど野蛮人か原始人みたいに平然とすさまじい勢いのどろどろに溶解した化学実験みたいな未解決品を堂々と晒してるんだから、やっぱりこれでは太刀打ちできないだろうと思う。好みとか趣味とかいう事ではなく、ボナールやヴュイヤールやモネたちは、基本ムチャクチャに野蛮な勢いで、ひたすら実験の上に実験を上描きしまくってるだけだ。でも森芳雄の作品からは、「森芳雄」という事を強く感じられる。それはそれで貴重な事かもしれない。でもとりあえず、ボナールやヴュイヤールやモネには太刀打ちできない。いや太刀打ちできなくったって、一向に構わない。「私は私の歌を歌うのだ」という考え方も勿論ありうる。でも、とりあえずボナールやヴュイヤールやモネたちは「私は私の歌を歌うのだ」という考え方から何万光年も離れたところで仕事をした人たちだというのは確かなのだ。私のやってる事は、端的に実験であって、その成果が何であれ、とりあえず外部に向けて、少しでも高らかに鳴り響かなければならない、というだけの事なのだ。


で、たぶんそれ以降の絵画が避けられないのは、このような野蛮な果てのない上描きの実験行為が行われたということに対する、何らかの責任を胸に宿すという事なのかもしれない。そんなやり方、そんな行為の事実は無かった事にする、という選択肢も含めて。


しかしそれにしても、20世紀初頭のヨーロッパの画家たちの心を想像するのはとても難しい。なぜそのようなイメージを信じる事ができたのか?「近代」という概念を信仰し得たのか?友人関係や社交環境がそうさせたのか?日本人が明治時代を想像するのと同じ要領では、100年前のヨーロッパを想像できない…