買って数日経って半分くらい残ってる赤ワインが美味くないから煮込み料理に使おうと思って、牛モモ肉を買って昨日から漬け込んでおき、今日は3時間近く煮込んだが、結果はパサパサとした食感の良くない失望の一皿となった。あとで調べたら、モモ肉がけっこう難しいみたいで、それに火の通し方もわりと難しいようである。でも、これはこれで、いかにも肉のクセが強く感じられて、素材感があって良いではないかと無理に思い込む。ワインでぐいぐいとやっつける。食後は猛烈に眠くなる。まるで睡眠薬を飲まされたのではないかというくらいの強烈な眠気。一旦風呂に入って、出てきて炭酸水を呑んで、それでもまだ眠くて、しばらくうつらうつらとしていた。自室のPCの前に坐ったら覚醒した。
十何年前とか昔の話をしているネットの掲示板があったとして、それ自体がすでに最後の投稿から十年以上経過している、というのは、ネットでたまに見かけるけど、こういうのを探して、読み続けてしまうときの底なしの感じは何なのか。昔の写真とかで、たとえば60年代の東京の、たくさんの人が歩いている写真があるとして、ここに写っている人々の既にもうどのくらいこの世にいないのだろう、とか。明治時代の写真だと、確実に全員、かつてこの世に存在したが今は存在しないということになる。まあこのブログも、そういうものの仲間になれば良いと思う。というか、おそらくすでにそれだ。
つまりお墓か。インターネットはたぶんお墓にふさわしい。というか、すでにお墓なのだろう。いつからいつまで生きていて、だいたいどんな感じだったのかが、調べれば引っ掛かってくる。それが今後も、ずっと、何百年経ってもそれがある。何百年も経って、そんなゴミデータが残るわけない?いやいや、未来ではすべて残るのが前提かもしれない。たまに想像する、というか夢で見るのだけど、実家の自室の本棚に、誰か見知らぬ若いやつが居て、かつて僕が読んだことのある本を引っ張り出してぱらぱらと見ている。奥付を見て「150年前か…。」とつぶやく。僕の実家なんて、あと30年もしたらすでに跡形もないと思うけど、そういうことではなく、100年とか200年という歴史が、今までは無かったけどこれからは、我々のような者にもこれからは数百年の時間が積み重なっていく。