ポール・ボウルズの短編集「遠い木霊」収録の「コラソン寄港」がとても良かった。以下、物語を大雑把に書くと、新婚旅行で船旅を続ける夫婦が、お互いに相当イラついていて、なぜなら乗船する船はどれも粗末で、巨大な船体の川面すれすれのデッキには積荷があふれんばかりで、上のデッキには老人や家族連れや子供が足の踏み場もないほどで毛布や新聞紙の上にゴロゴロ寝転がっていて、男たちはひたすら賭け事に打ち昂じていて、船は細い水路を無理に進むので左右の手摺りから逃げないと猛烈に生い茂っている木々の枝や葉がばさばさと船内にまで浸入してくるし、複雑な水路なのでしょっちゅう船の舳先がぶつかってそのたびに掴まるものがない乗客は床にひっくりかえる。夜は蚊の大群と蒸し暑さで、マットレスの上に置かれた殺虫剤の入った缶は底に穴が空いているからカーペットに大きな滲みが丸く広がっている。主人公は苛付いた気分もあって眠りも浅い。妻は酔っ払って客室から消えてしまってどこへ行ったのかわからない。主人公は思いついたら気付きをメモする。これがまた、何とも虚しいような、どうでもいいようなメモで。でもその行為のおかげでかろうじて平静を装っていられるようにも思える。一夜空けて奥さんを探したら、妻は全然知らない男とほとんど裸の状態で眠っており、ウィスキーの飲んだかこぼしたような匂いがたちこめている。それをつい通り過ぎて、すぐに戻って事態を確認した主人公は無言で荷物をまとめてさっさと一人で下船して、なんとなく晴れやかな気持ちで汽車に乗って、汽車は走り出す。というお話。何がいいのか?というと、お話が良いのではなくて、小説としてすごく良いのです。
ジョゼフ・コンラッド「闇の奥」は、先週から少しずつ読んでいる。こちらもかなり良いのだが、なにしろ遅々として進まない。その空気をしっかり吸い込みながら作品の中に入っていくためにけっこうパワーが必要で、難儀している情況。小説として…は、これはボウルズとはかなり違う、ということは感じられる。