死ぬ三本


オリヴェイラ永遠の語らい」をDVDで。船旅の映画。波止場で白いハンカチを振って出航を見送る人々。ポルトガル人で歴史学者の母親と七歳の娘。景色を見ながら遥か昔の歴史や神話のお話をしている。海原に浮かぶ客船。舳先が波を切る。寄航先で港に横付けされて、タラップが下ろされる。階段を下りて下船する乗客たち。高級車を降りて乗船する乗客。握手を求められ、サインをねだられる有名人。歴史学者の母親は若くてうつくしい。マルセイユの魚市場、ギリシャの遺跡、エジプトのスフィンクスとピラミッドが一望できるあのテラス席は、地球上でもっとも最高級の景観を誇る二人掛けテーブルではないだろうか。地中海から紅海へ巡る船旅。たぶん人としてこの世界に生まれてきて、これを知っているのと知ってないのとで、何かが違うのだと思わされる景色たちである。でも、そう思う一方で、これらぜんぶ、僕に関係ないことだなーとも思っている。後半の会食シーンでは、船長と三人の女性たちがテーブルを囲む。フランス人、イタリア人、ギリシャ人、アメリカ人が、それぞれ自分らの母国語で会話し合う有名なシーンである。自らの母国語つまり自分に親しい、自分のもっとも自然に使える言語をお互い使いながら、同時に相手の言葉も理解できている。歴史学者の母親と娘が、そのテーブルに招かれる。母親は娘とはギリシャ語で話をしているが、フランス語と英語もできる。しかしギリシャ語はわからない。三人の女性たちもポルトガル語はわからない。ブラジル滞在暦のある船長だけはポルトガル語をかろうじて解するが、場の会話は英語となる。やがて促されたギリシャ人の歌手は、立ち上がってレストランをゆっくりと歩き回りながら、アカペラで故郷のうたを朗々とうたう。うつくしくて素晴らしかったあの昔はどこへ行ったの?というような内容の歌。ラストも有名だが、船はテロリストの仕掛けた時限爆弾によって破壊される。逃げ遅れたポルトガル人親子の様子を驚きの表情で見る船長の顔。


成瀬「乱れる」をDVDで。観たのは十数年ぶり二度目。これは僕の中で、成瀬作品の中でもことに衝撃を受けた記憶があり、それゆえ二度目を観るのが何かためらわれる思いではあった。観てみると、そうか、うーん。たしかに凄いが、作品としては「乱れ雲」の方が良いかもしれないとも思った。ただし加山雄三は、「乱れ雲」も素晴らしいが「乱れる」の方がさらに高みの達していると思った。加山雄三という俳優に可能と思われる魅力のほぼ全てが出し切れているのではないかと思う。高峰秀子の前でちょっとふざけたり軽口を叩いたり酔っ払って電話をかけてきたり、あの手の甘ったれた若い男の魅力が全開で完璧すぎる。男の主人公にとって都合の良いヒロイン像というのはたくさんあるだろうけど、よろめき葛藤する女にとって都合の良い男脇役の、これは最高峰だと思う。しかし二度目に観た「乱れる」が一度目と較べて衝撃度が少ないのは当たり前かもしれない。なぜなら山梨へ向かう二人の汽車旅の途中、高峰秀子が、あの台詞を言うということを、すでにわかって観ているからだ。あれをはじめて観たときは、ほんとうに驚いたというか、その展開に驚いたのではなくて(展開ははじめからある程度予想がつく)、じっと座って加山の寝顔を見ている高峰の、その表情というか、覚悟とか決意のようなもののあらわれかたにうたれるのだ。あれはある意味、ラストシーンよりも衝撃である。というか、あの衝撃とラストシーンの高峰の顔。あの二つの顔は、対になっているのだ。こうして書いていると、やっぱりとてつもない傑作じゃないかとの思いが沸き起こってくる。


ルイ・マル「鬼火」をDVDで。はじめて観た。当時のパリの街並みのロケ撮影がすごくて、おお、、と思いながら観てしまう。…「乱れる」を観ているときも思ったけど、もう年齢が若くないから、いや自分自身も相応に、細かくずる賢くやってきたからかもしれないが、たとえば未亡人である高峰が夫の実家から円満に出て行くことを期待してる姉や母親たちとか、それなりに悪役っぽい演出なので、昔なら観ていて苛立ったりムカついたりしただろうけど、今だと、まあそりゃそうかもな、無理もないわなあとか、政治的にどのあたりが最善の妥協点かなとか、そんなことの方が気になってしまうし、「鬼火」主人公演じるモーリス・ロネを取り巻く幾人もの知り合い、友人たちについても、彼ら一人一人はまるで悪意なく善意の第三者ばかりで、その存在自体に何の瑕疵もない。この主人公の苦悩はあたえられた条件をすべて受容れられないことにあって、政治や調停によって自らを世界に歩み寄らせることそのものを拒否しており、世界そのものを否定していて…浅墓かもしれないが、まず思い浮かぶのは太宰とか織田作とか無頼派みたいなメンタリティだが、こういうのは戦後間もない時代に特有のものなのだろうか。逆に今の時代だと、あまり観られることのない、観る意義を感じにくい作品ではないかと思う。むしろ今の時代に、こういう感じでいられる(苦しみに耐え続ける)ことは貴重だと思う。


今日観た三本、ぜんぶ最後に人が死ぬ映画だった…。