僕は宗教とかを信じてないのだが、しかし自分の生が終わったら、ただちに完全に無(というか物質)になるとも思ってなくて、いや、なるのかもしれないけど、しかしその、ほんの一瞬前に、やはり最期一度きりの、退出申請のような、手続き窓口のような場所を通り抜けることになるのではないかと、何の根拠もなく思っているところがある。
その手続き窓口で、神様のような何者か(というか、それはやはり神様だとは思うが)から、最終的な言葉を受けることになる。最終的な言葉、すなわち「なかなかよくがんばった方だと思うよ」とか「ちょっと残念だったんじゃないか、もうちょっと何とかなったんじゃないか」とか「まあ、気持ちはよくわかるし、それは少しは伝わったかもしれないね、伝わらなかったかもしれないけど」とか、そういう言葉をもらって、それで終了となる。
ふつう、言葉というのは、共感や反発を呼び起こすものだが、死んだあとの我々に降ってくる言葉は、そういうものではなくて、もっと完全な何かである。死者としての自分はその完全なものを受けて完全体としての物質になる。そのことに共感も反発もない。死んだから、よろこびもかなしみもない。ただ「まあまあ良かった」とか「少し残念だった」という、モノの色味のようなものになる。