車内

登場人物たちが、たまたま汽車の同じ座席に乗り合わせて、そこでの会話から小説が始まるというのは、これ以上ないというほどありふれているけど、これから起こる出来事への期待を、これ以上ないくらいにかき立ててくれる、ある意味王道というか鉄板の始まりかただと思う。異なる出自、異なる考え、異なる目的をもつ者同士が、たまたま出会う場として、汽車の中はこのうえない。あるいは逗留先のホテルのラウンジとか、同じ宿とか、いつもランチの後で寄るカフェとか、ほかにも色々あるだろうけど、汽車がすぐれているのは、乗り合わせたお互いの行先も目的もまるで違っていてかまわないのに、その場においては対話せざるを得ない状況が、一時的に作られ、しかもその間ずっと移動中というある種のリミットが効いてることだ。だから、汽車の客室は小説の舞台装置としてうってつけだし、そもそも汽車に乗ってる時間そのものが、とくべつに小説的なのだとも言える。とりわけ、向かい合わせの四人席は重要で、東海道線は貴重。しかし個人的にはあの席に座るのは避けたい。なぜなら間隔が狭くて降りるのも降りる人を除けるのも面倒だから。そこはふだんはべつに、小説的じゃなくても良い。