観たのは昨日だが、Amazon Primeで鈴木卓爾「嵐電」(2019)。とても良かった。上品、ややペシミスティックで感傷的なのかもしれない、でもそれはこの私だけの悲しさであり、小さいけどかけがえのない私だけの幸福にもつながっていて、観終わったあとの余韻はとても良いもので、とても味わい深くていい作品だった。恋愛をテーマにした作品としての、つつしみ深い所作がきれいなのだと思う。
三組のカップルによるそれぞれのエピソードを通じて見えてくるのは、人は意中の相手に自分の見たいものを見ること、相手の心はついにわからないということ、その規定的な限界を受容することが、すなわち相手へのやさしさで、それはそのまま、この私が私の孤独を受け入れることでもある、そんなほろにがくもかすかな幸福感をともなったあきらめの心境、のようなものだろうか。
映画は、なつかしい過去の映像を観ることができると同時に、もしこれがああだったら…、もしあの人がこうだったら…の、もう一つのありようを見せてくれる、というよりも見たいものをこそ見てしまう、現実にはありえない幻想的な場面も、まるでそれが本当にあったことのように見てしまうのかもしれず、そんな個々の想いの心ばかりが、オバケのようにその場限りの行先を求めて彷徨い、どこにも着地できないまま、次の瞬間には消えてしまうかのようだ。