イワシとじゃがいものテリーヌ

午前中ジムで少し泳いだあと、最近まるで外食もしてないし、外で酒をのむ機会もないので、今日は久々に、昼から一人酒を解禁とする!となって、表参道まで電車移動。今日が入学試験当日だったのか、制服着た高校生たちがたくさん歩いてる青山学院大学沿いを、若者たちとは反対方向へ進んで電話した店へと向かう。

一度は体験してみたかった「イワシとじゃがいものテリーヌ」を食す。イワシとジャガイモ、だいたい想像つきそうな組み合わせで、だいたいこんな感じではと食べる前には想像していたのだが、それをはっきりと覆された。想像をはるかにこえてきた。

ジャガイモ、イワシ、燻製香をまとったベーコン。それらの絶妙な調和、要素が三つあるのではなくて口中ではしっかりと一つに結びついているのだが、内訳はそれらなのだ。実感として一つなのに見た目は一つじゃない、けっこう主張強そうな要素ばかりなのに、ぜんぜんやさしい、控えめで、しかし地味ではない。

自分が作るならば、イワシを加熱して、ジャガイモを茹でて、混ぜ合わせて、最後に適当なハーブでも加えれば、それで十分に美味しい。だから、大体そういうものだろうと思っていたのだが、これはそんなものとは全然ちがう。

なんというか、組み合わせの仕組みが、すっと簡単には見えてこない、あらゆる要素が、浮かんでは消えるようで、容易に解決の気持ちがおとずれない、おそらく複数の要素をかけあわせるという作業において、ここまで出来れば最高だろうし、ふつうは到底無理だと思う。

魅惑的だが、手の内すべては見えない、謎を残しつつ、食べ進むうちに料理はなくなっていく、美味しさにつつまれながら、終わってしまうことへのかすかな焦りを感じる。

ジャガイモを「地」として使い、香りのかけひきを仕掛けているのだと思う。もちろんテリーヌなので、かたまりひとつ、出来上がったた時すでに味は決まっているのだが、それにしてもこの料理のボディであるジャガイモに浸透した味わいと香りが複雑すぎる。上品と言って良いギリギリな按配のイワシ香と、薫香の絶妙というよりほかないバランスが成り立っていて、白ワインをすすませるかすかな塩気が効いていて、飽きの来ない複雑味、解決のつかなさがいつまでも続く。

さらに強い塩気をもつムースソースと、くどくなるギリギリ直前でとどめてあるイワシ香のポタージュが添えてあるので、これらを適宜補強すれば、皿の残りを徹底的に楽しむべく、料理はますます自らの主張をはっきりとさせはじめる。

イワシ、ジャガイモ、ベーコンだなんて、見事なまでに安価で庶民的な素材だけを使って、これほどまでに不思議な味わいが生みだされるなんて、これこそが洗練というものか。あるいは長年の積み重ねが為せるワザということか。加算の結果ではなく、はじめからそのようであった、いわば何の変哲もない一枚岩の味わいの中から、探って掘れば掘るほど各構成要素の気配が浮かび上がってきて、しかしそれらの組み合わせの骨格とか構造そのものは見えない。謎は謎のままだ。だから何度でも試したくなるのか。