微分

y=x2乗のグラフ(放物線)に対して、Xの変化にかかる時間あたりのyの移動距離を計算するとき、掛かった時間をかぎりなく0に近づけたときの値(瞬間の変化率)が微分である。そのとき、座標や曲線は実在し、目に見えるが、変化(ベクトル)はそうではない。微分とはすなわち目に見えないものであり、理念であり、潜在性である。

座標平面上の線が、見えるものであり、現実的なものである。接線にしても、座標平面上に見えるものとして図示できるから(…)、すなわち、座標平面上に顕在化可能なものであるから、現実化可能なものである。ところが、ベクトルを座標平面上に図示することはできないのである。ベクトルは、接点がどの方向へ向かうかという動向を表現するから、座標平面上では見えないものである。矢印表示は、見えないものを見えるようにするための苦肉の策でしかない(…)。したがって、ベクトルは、座標平面上の線として、見えるものではないという意味で、現実的ではなく理念的である。また、座標平面上に顕在化可能なものではないという意味で、顕在的ではなく潜在的である。ベクトルは、理念的で潜在的なのである。

 そして微分とは、特定のベクトルとしてではなく、無数のベクトルとして定義されるものである。とすれば微分は、理念的で潜在的なベクトル場として定義されるということになる(…)。かくて、微分的なものは、理念的で潜在的である。見えないものである。思考するしかないものである。

ドゥルーズの哲学」小泉義之 (講談社学術文庫 42頁)