東京都美術館でエゴン・シーレ展を観る。約百年前のウィーンがどんな場所だったのか、どんな個人がどんな意識下で生きていた時代だったのだろうか。ウィーンに限らず、過去のことはわからないし、わかると思ってもわかった気になってるだけだ。
作品は時空を飛び越えて何かを届ける力を持つけど、それが描かれた場所やその時が封じ込められた記憶装置でもあるから、作品を観る私は、その作品のなかに絶やされていない情報構成を受け取り、かつそれが当時の風習やしきたりや空気の影響を受けていることを感じ取る。当時の風習やしきたりや空気のリアリティはすでに消失しており、作品がその影響に受け、それを通過したという気配だけを受け取る。
エゴン・シーレはその名をもつ個人であったと同時に、その当時の時空を背に受けて、その影響下に構成された不特定的な存在の一例でもあっただろう。強く個性的なように見えて、じつはまだ自分を決めあぐねている、模索する手探りの感じを強く感じさせる作品群でもあったように思う。
たとえばクリムトはどうか、ココシュカはどうか、ウィーン分離派の人は、ドイツ表現主義の人々はどうかというと、彼らはまだ大人しく美術史におさまっている感じがするのだが、シーレはまだ若かったからかもしれないけど、それらのどれでもなくて、これまでとこれからと現在の自分とのすべてに引っ張られて、わけのわからないまま制作していた人であったかのように思われてならない。
(美術史におさまってない、と云うよりも、その域まで至れてないという感じでもある。もっともその域に至ること=優れていることではないし、逆に大人しく美術史におさまっている感じだとして、それでつまらないと思われる作品も多くある。)
自己防衛/自己顕示的なものに閉じこもるかと思えば、可虐/被虐的でフェティシズム的な欲望を対象にぶつけもするし、そうかと思えば荒涼のなかにかすかな温かみの流れるような風景を描き留めもする。妊婦と死のあからさまな対比に心奪われ、妊娠の予感を全身にまとって大きく足を広げた女性裸像をひどく生っぽい絵の具で描き出しもする。
それまでの規範や師匠やその背景にある制度的なものへの強い信頼(畏れ)があり、しかし拘束や制度から徹底的に逃れたい思いがあり、未知への期待があり、強い不安があり、自分がやろうとしていることが決して間違ってないと確信をもって信じることはまだ出来かねるのだが、それでも描くことのなかに生じる胸の高鳴りと歓びは自身を鼓舞してくれる…、そんな風に、とにかく手当たり次第に、感情の赴くままに、思い込みの行き着くがままに試す、その落ち着かなさがある。作品というよりは、作品になろうとして藻掻いてるまさぐりのような感触がある。
この作品ごとの質のバラつき具合というか、大きな振れ幅というか、作品の出来にばらつきがあると言うよりも、その時々によって作品の組み立て方がまるで別人のように変わる(それまでの成果を次作ではわりと簡単に手放してしまうような)感じで、もしこのまま生きていたら、このあとどんな風に展開していったのだろうかと思う。
(なんとなく個人的に、最晩年の絵はことごとく皆イマイチな気がするのだけど…しかし最晩年といっても二八歳か。)