今宵かぎりは…


ダニエル・シュミット「今宵かぎりは…」をツタヤのVHSで観る。…とりあえず深夜一人で部屋を暗くして観るものじゃなかった。もう比較を絶して怖い。並みのホラー映画なんて目じゃないくらい。背筋が凍り付くというか、金縛りにあったような恐怖で身動きもできないというか、とにかく怖い。まいった。子供の頃に、遊園地のお化け屋敷が怖くて怖くて本気で号泣&激怒して途中で退場させてもらった過去を思い出す。でもこの映画が怖いというのと、子供がお化け屋敷を怖いというのと、本質的には何も違わないのではないか。何が怖いのか、っていうと、つまりその背後にあるものの見えなさが怖い。自分なんかとは何の関係もなく、はるか昔からずーっと、そうやってそれが当たり前のようにして、何年も何年も、同じことを続けてきた、それが慣習であり生活であり歴史であり文化であり、人間の営みであり約束であり制度であり、法であり倫理であり、束縛であり愛でもあり、と、いくらでも云えるだろうけれどもつまりはそういう、人間が自らを人間たらしめるために必要なありとあらゆる奇妙なしきたりや行為の反復、その静寂、その凄みだ。何が怖いって、それがいちばん怖いのだ。人間の住む陋屋がいちばん怖いに決まってる。それとくらべたら真っ暗闇の森の中の方が何倍もマシなのだ。


ヨーロッパのブルジョアの凄みの効き方はおそろしい、と一言でいえば簡単だが、これはもう映像になったら単なるホラーで、この、何百年もの厚みをもって覆いかぶさってくるような凄みと、でもほんのちょっとショックでいきなりベロリと皮が向けるように脆く剥がれ落ちてしまいそうな儚さ、というのか、か弱さ。つながりの弱さというか、身じろぎもできない不安と緊張感の中で目の前のお芝居の泣いたら良いやら笑ったら良いやら困惑しきりで、こりゃほとんど悪夢に近いと思うが、でもだから早くそこから出たい、夢から覚めたいというわけでもないのが奇妙で、どちらかというといつまでもみていたい悪夢、などというものがあるのかしらないが、いつまでも苦しんでいないと、このいつまでも続く出し物をできるだけ見続けないと、この先もずっと呪われそうな…いやむしろ呪われたいような。。