羽生


たしか、ツイッターだかニュースだかで偶然読んだ話だが、将棋の羽生義治はアイススケート選手の羽生結弦のファンで、羽生結弦のニュースが気になって、テレビに映された「羽生…」の文字を見るとあわててテレビに近付くのだが、それが羽生結弦ではなく自分に関するニュースだと気付くとがっかりしてテレビを離れる、みたいな話を聞いたことがあって、この話がけっこう好きだ。このときに、羽生義治の頭の中に浮かんでいる羽生義治の像(を僕が想像した像)が好きなのだ。期待外れの、単なる自分に過ぎない羽生義治。


三宅さんの話に出てきた、ある中国人学生の父親。日本を嫌っているが、羽生結弦のスケート演技についてはなかなかやるなと感想をもらしたという、これも僕は同じように感じる。その父親が見た、その父親の中で像を結んだ羽生結弦。外見と動き、スピード、演技。それらの集約された像。


僕自身は、アイススケート羽生結弦にまったく興味がないが、中国のどこか、ある中国人の父親の、頭の中に浮かぶ、あるスケート選手の像(を僕が想像した像)には、かなしいような愛おしさをおぼえる。