外で猫を見かけるとき、猫はたいていこちらの動きを警戒して身構え、少しでも近づこうとすれば全力で逃げていく。猫はよくわかっているのだろう。人間は執拗だから、ちょっと油断して気を許すと、思いのほかしつこくべたべたと付きまとい、いつまでも止まずに心底から辟易させられることを。だから警戒を緩めない。隙を見せたら相手の思うつぼだ。
ところで鳩(ドバト)はどうか。猫の人間に対する構え方と、鳩のそれがまるで違うのはたしかだ。鳩は追い立てれば飛んで逃げるけど、よほど激しく追い立てなければ、逃げるどころか、羽根を広げようとさえしない。できるだけその場を動きたくなくて、群れを崩したくなくて、ただ同じところにじっとしているのを好む。
サギとか、カワセミとか、カワウとか、ああいった水辺に住む鳥たちの孤独で気高いたたずまいを、鳩はまるで感じさせないし、でも人間の世界にどっぷりなわけでもなく、芸もなく愛嬌も持ち合わせてない。猫のように、人に対するある種の「態度」を示すわけでもない。ただ当然のように傍らにいて、没交渉で、ふだん挨拶もしない、お互いにまるで意識し合わない、が、何となく気に障る、ことさら会いたくもない、できれば存在を忘れていたい近所の住人、みたいな存在だろうか。
そういえば最近、近所のゴミ捨て場を執拗に荒らした一羽のカラスがいて、それで僕は鳩のみならずカラスに対する心象もすっかり悪くしてしまったのだが、たまたまその行儀悪いやつが前方数メートル先にいるのを見つけ、威嚇しようと両腕をわざと大仰に振り回し全速力で駆け寄ってやったときも、その相手はまるで物怖じせず、阿呆らしそうに、飛び立つまでもないわ、と云わんばかりの、やや面倒くさそうな物腰で数歩だけ歩いて、はーい、仕方ないね、道を譲りますよ…みたいな態度を見せた。
つまり、そうか。鳩にせよカラスにせよ僕は、こちらがせっかく威嚇してるのに、地上で彼らに避けられ、あしらわれること、彼らにとって唯一的技能なはずの「飛ぶ労力」を節約されることに、腹が立つのだ。お前ごとき、私の羽根を使うにはおよばない、地上応答で充分ですよ、そんなふうに見下されたことに、屈辱を感じているのだ。だって猫を見よ、猫はどんなときでも、いっさいの手抜きなしにその身体能力をもって、我々を敵視し、我々から全力で逃げようとするではないか。それに引き換え、あの連中の態度ときたら…。
カラスから侮辱をうけたその日は、カラス 死 とか、駆除 とか、罠 とか、吹き矢 とか、自宅PCのインターネットブラウザにその手の検索ワードを矢継ぎ早に打ち込みつつ、いつまでもまとまらぬ思案に明け暮れた。
ところで先日ネットで話題になったオリンピックの射撃種目の選手。あのクールな韓国人女性は、東京都足立区に来ないものか。うちの近所で良ければ、動く標的を使った練習にも、ぜひ取り組んでいただきたいと考えている。