三十女


あぁこれ面白いわ。これ後で書こう。と、思ったことを、いざ書いたためしはない。女としてそうなのか、女かどうかは関係ないと思うが。でもあれってなんでだろうか。なんで後で思い出すと、全然つまんないんだろうか。後で思い出すとつまんないって事は、書いたら基本的にぜんぶ、面白くないという事実を認めることになってしまう。それはそれでいいのだろうか。いや、それはまずい。書いたことはそれはそれで、一応の安全基準をクリアしてる品質ですというのが名目なので、そこをあまりにも簡単にそうじゃないと言ってしまうのはまずい。


少年はいつも、いつまでも片思い。三十代の女性のつまらなさ。三十代の女性が、あ、自分は三十代だと思って、それを良くも悪くも自覚したときのものすごいつまらなさ。三十代の女性ってほんとうに面白いのに、私は三十代だ、というイメージを自分で過剰に受け入れてその枠に従ってるような、そういう女性の強烈な痛さ。超・不完全燃焼の、ブスブスと燻されたような、煙にまみれた感じのまま、その煙たい感じのままで誇らしげに、こっちに何か言ってくる面白さもあるのかもしれないけど。ふつう他人に、決してそこまで言わないでしょ?っていう過激な攻撃本能丸出しの、強烈な毒を撒き散らす感じの、これはもう、うわぁ、と思う感じ。


何歳か年上の男が、その気になって偉そうに喋り出すときの今のこの感じ。はいはい始まったっていうお時間のスタート。ショータイム。まあこっちが悪いといえば悪い。うちらもう三十ですからってそう宣言してわかりやすい負け組ぽい雰囲気を出すのが悪い。なんでそこまでして受け入れやすい空気にしなきゃいけないのか。じぶんから迎合しててほんとうにこういうのは下らない。もう二度としたくない。でも無意識にそういう風に言ってしまう。痛い女とかそういう実に下らないイメージだけでその場をしのごうとする下らなさ。


いまのプリクラ見ました?目だけでかくなるのマジでびびりません?あれすごくないですか。あれって制限時間なしですか?ずっとうちらだけでしたよね。てか落書きとかもう、なんか書きます?終わりでよくないですか?いやー、そうそう!それマジでそうですよね。池袋まじ久々ですよ、はい。池袋ゲーセンまじすごいですね。このプリクラはすごいわ。これはないわ。いやーすごいですようちらも何年ぶり?って感じですよ。ねえねえプリクラとか知ってた?知らないよね。だよね?そう、だよね。そうそうそう。まじ十年ぶりとか、そんなですよ。撮らないですよね普通。うちらの時代より超進化してますよ。こんな色々なかったですって。


彼氏が浮気したみたいな話題があって、そういうのを平然と話すかどうかが、ある境界線で、そういうのを越えられないのはやっぱり、それってどうなの?と思ってる自分はいる。それってネタでしょって思える自分もいるし、確実に笑い取れるっていう計算もあるし、それで持ちこたえられるのがわかってるから、場合によっては早めに使う。最初から話さない選択肢を、全否定するわけじゃないけど、でも、お前が楽しいか楽しくないかなんてどうでもいいよ、人が聞いてもつまんないだろうがよ、ってのはあって、そこを間違って勘違いしてるやつを見るとどうしてもいらついてしまう。インドに行ってきて死体見たみたいな話をずっとしてお前だけ嬉しいだけみたいなそういうのの寂しさってのがある。自分がどうこうじゃなくて、そこで滑ってる自分がいて、とりあえずインドの死体に申し訳ないってのがある。


自分を冷静に振り返ってみて、たぶん環境を改善したかった訳じゃないっていうのは思う。ただ、今こうして、とりあえず今この場だけでも遠慮なく自分語りできるような、そういうのが欲しかったんじゃないかね。だってそれ以外、なんにもないからね。失くしたものばっかりだからね。


ほら、色々わかりやすい話ってあるじゃん。男なら年収何百万以上じゃなきゃダメとかそういう。そういう話が出てくるときの感じが、なんとなく今はすごいわかる。そういうこと言う女子って、たぶんほんとうに色々うんざりしてんだろうなってのもよくわかる。それで、そういう超ベタな発言までするくらい追いつめられて、そのままやがて、自分で起業したり、自分の貯蓄全部突っ込んで大株主になったりするんだなって。ああやっぱそうだよなって思う。すごいわかる。それしかないよ、まっとうに頑張るしかない。やっぱ長い時間かけて、私がまっとうに頑張るしかないっていう結論を見つける。そのための時間ってことなんだろうね。20代、30代っていう、女性の時間。その十年とか二十年っていうこと。自分との折り合いのつけ方って事だよね。


そういうのが嫌で嫌で、っていうのが、たぶんクリエイティブ系の人の中には常にあって、で、自分に何ができるとかそんなこととは関係なく、自分を捨てよう捨てようとする、そういう必死さの人ってのが、やっぱいるんだよね。クリエイティブで自分らしさを目指す人っていうのはまあカワイイというか、大抵はそのまま誰かに貢ぐ事になっちゃうんだけど、自分を捨てたくてっていう人は、本当に、なんだかよくわからない感じの、業の世界になる。まじで、修行部屋みたいなものだと思うよ。自分を殺して自分を殺して、また再び自分を殺して。


甘い見積もりを、批判されることの辛さね。それを自覚するかしないかってとこから始まるけどね。すいませんって頭下げて、もう一回やらせて下さいって言うのができないと、年収何百万の男じゃなきゃっていう女になっちゃうし、でもお前の事はまじで嫌いだわっていう気持ちもそのまま置いときたいし、だからほんとうにきついわ。飲み会だとやっぱたぶん無意識にラクしたいって思ってるかも。はいはい三十女ですって言うほうがラクだし。クソ下らないですカネ目当てですっていう言い草で騒いでる方が全然その場を凌げるっていうのはあるし。


お金払えっていわれました。お金ないです。払わなくていいですかね。お金ないです。うそー優しいですね。すいません貧乏で。えーまじすいません。いやーまじすいませんすいません。いや、それでいいとおもうけどね。金ありません、金ほしいです。寂しいです。きついですって言って、いやーでもそれもアレだけど。それだとさすがに俺もキツイけど。お前みたいなのがいるから俺がおっさんみたいになるんだよ。


親から、来週までに十一万なんとかなるか?とか相談されるとマジでへこみますって。親が自分にとか、そういうことじゃなくて、単に十一万取られる事に純粋にヘコミますよ(笑)。うわーこいつあと何年生きるんだろって思いますよ。七十過ぎると下手したら八十とかまで生きるんですかね。それはきついなあ。私の中ではあと五年で死んでよってのはありますけどね。いやーもって後五年でしょ。それ以上とかありえないですって。八十とか、なげーよ。マジでこっちがもたねーよって。でもなんで人間って長生きするんですかね。あれってなんでそういうのが決まるんですか?早い人は早いじゃないですか。ウチの社長とか六十で死んじゃったじゃないですか。あれってなんでですかね?なんで早く死ぬ人とゆっくり生きてる人といるんですかね?早く死んで、カネのすごい損失出す人と、ゆっくり生きて、すごいカネの浪費する人といるじゃないですか。アレってなんでですかね?でもどっちにしても生きてる側のカネの問題ですけどね。いやマジで話題はカネに尽きますね。カネの話がいちばん盛り上がりますね。じゃあ次わかりました。はい。芸術の話しましょうよ。はいはい。じゃあ自由の話しましょう。そうそう。自由への道の話しましょう。自由への長い道の話しましょう。