音楽性の違い


1888年、共同制作と芸術家コロニーを夢みたゴッホに誘われたゴーギャンは、アルルで共に暮らし始めるが、その生活は予想に反して双方きわめて緊張に満ちたものとなり、挙句はゴッホの「耳」事件をきっかけにして、その共同生活はたったの二ヶ月あまりで終わる。ゴーギャンはベルナール宛の手紙に「フィンセントはロマンティックなものに、私はプリミティヴなものに惹かれる」と書いて送ったそうな。…この言葉が両者を適切に言い表しているのかはさておき、この顛末およびゴーギャンの手紙に書きしたためた文言をみてなんとなく思うのは、この両者の関係はまるでロックバンドの解散劇のようであるなあということだったりする。カリスマ同士が結成したスーパーバンドの鳴り物入りのデビューだったのだが、アルバム一枚すらリリースせず解散してしまったという…その後は、方やバンドという形態に完全に見切りをつけ、徹底的なソロ活動に勤しみ、方や、未だ自分と周囲の可能性や不安を断ち切ることができずその場限りのジャム編成バンドを作っては壊し、いよいよというときになって、プリミティヴの聖地へと旅立っていく…おもえば、耳を切り落とすなんていうのはまさにパンク的衝動とも通じるかもしれず、そのような内省の極北へと向かう危険をゴーギャンは感じ取ったからこそ、反対方向の南へと向かい、果てしなく続くポリリズムの新たな可能性に賭けたと。っていうか、欧米の大衆音楽が南部やアフリカやケルトやチリやブラジルやなんかの「血」をとりいれる例は、もう枚挙に暇がない訳で、そういう意味でやっぱり、19世紀末以降の第三世界というのは常に文化の血液なんだなあと思った。