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寺山修司「地球をしばらく止めてくれぼくはゆっくり映画を観たい―さかさま映画論」という古い文庫本を適当に開いて読んでいた。一九七六年、寺山修司はカンヌとベルリンの映画祭を訪れている。カンヌではデュラスの「ヴェネチア時代の彼女の名前」が上映されていて、これを観た寺山は、その映画を面白がりながらも、デュラスは「映画を文学へ近づける」方向へ転じ、そのまま孤立を深め内面へ引き籠ろうとする気配を感じたと、そうでありながら、これほど美しい映画はめったに観られないとも記している。

この年、カンヌのパルムドールはスコセッシの「タクシードライバー」、ベルリンの金熊賞はアルトマンの「ビッグ・アメリカン」に授与された。寺山はこの年のベルリンの審査員でもあった。(アルトマンはこのあと自作が製作側によって勝手に編集される予定であるのを理由に受賞を辞退しようとするが、ベルリン映画祭はオリジナルプリントに賞を与えたので、もし編集された場合は受賞を謳わないよう製作者側へメッセージするからと言って、アルトマンを説得したのだそうな。)

当り前のことではあるけれど、デュラスのあの映画もかつては「最新作」として公開された、そんな時間が、じっさいに存在したのだ…と思う(広い館内に客は数えるほどだったらしいけど)。それこそ文字に書きつけられて、歴史化されたそれに触れ、けっして自分の体験ではない過去を、読むことで「上手に思い出すことが出来た」(小林秀雄)、という感じだ。

ベルリンの期間中「愛のコリーダ」のフィルムが警察に押収されて騒ぎになった際、寺山は「映画の中の犯罪の取り締まりは、映画の中の警察にまかせておけ」と言った。これは、ちょっと気の効いた風な、あるいは事態を茶化したようなセリフにも聞こえるけど、じっさい本気で言ってる言葉なのだと思う。というか、これを無粋なまでに何度でも言うところに意味がある。