ムンク展(国立西洋美術館)


僕にとって去年くらいからずっと初期ボナールとかヴィヤールとかのナビ派のもつ独特な感じが気になっていて、要するにかたちの決め方みたいなところで自分なりに結構重要な問題みたいになっていた。もともとロートレックドガドーミエの線描を見ているのが好きで、それが二の腕や肘のアウトラインを駆け抜けて、行きつ戻りつしながらのたうつ線が束ねられて集積されて暫定確定されていく感触に強い快感を感じるのだ。でもナビ派はもっと固定・様式的な感じだが、でももっと揺らぐような感触も含有されている気がして、そのあたりで心に引っ掛かっていた。


ある意志の元に決断されてぐいっぐいっとひかれてつくられた結果としての「形態」を感じるのが僕はとても好きで、ある仮定されたフィールド上で、そのような決断のもとに為された行為ひとつに、冷静さを欠いたまま妙に強く反応してしまうような嗜好があるのだと思う。それは僕の絵画を見るときの視界の狭さを露呈しているところもあるが、そのようにしか感じないというのはともかく僕固有の、ひとつの取っ掛かりなのである。。それはともかく、収まりが良いとか気が利いてるとか絶妙な配置感覚とか、そういう話とは別の次元に位置する「良いかたち」というのがある筈で、なんかほら、そういうのってあるじゃん。という気持ちで、色々と画家を確認している中にムンクも居たという感じだったので、そういう期待も込めつつムンク展を観て来た。


どの作品も麻薬的に作用するような強い魅力があって、やはりすごい画家だと思う。かなり色々と技法を変えたり試したり節操なくやってるけれど、元のポテンシャルが強烈だというのは感じられる。歪むような強い求心力の透視図法の構図とか、長いドレスの裾が中空に反り返っていてフレーム下部に接していない事で不気味な浮遊感を感じさせるとか、抱き合う男女のシルエットが過度に強調され膨張して得体の知れない重い密度を有したりとか、月の光が湖面に粘っこく反射しているとか、感覚的に作用してくる力が非常に強くて、場合によっては絵画的な強度なんか犠牲にしても構わないから、今この感覚の鮮烈さをナマのまま出す事を優先させてしまいたいという暗い意志さえあるというか…。まあ結構、僕なんかはそういうのには共感もする。なので総じて良かったと思うのだけど、ただ結果的には確定済みの形態がいくつか組み合わされている感じも強いので、そういうものとして提示されて、それをどう思いますか?というところで勝負してる絵だという事も感じる。


中盤にあった横フレームの風景画連作は形態といい色彩といい絵画的な面白みといい全体の中で随分良いものに思えた。こういうのが観れた収穫は大きいと思ったが、今回はあるコンセプトというか、新たな視点の切り口で企画された展覧会で、ちょっと今までのムンクのイメージを裏切るかのようなものも沢山展示されているが、まあ僕なんかはむしろ有名な代表作をもうちょっと沢山じかに観たかったようにも思った。「装飾」のための連作のイメージが正直あんまり魅力的に思えないせいでもあるが。


ちなみに常設も久々に割とじっくりと観察した。クールベ作の、罠に掛かった狐の絵は改めて観ると本当に異様だと思う。まるでちょっとリアル目に描かれたアニメの絵みたいだ。マネの諸作品になると確信犯的な戦略が明確に透けて見えるけど、クールベのあたりだとまだ本気なのか冗談なのかわからない気味悪さがある。っていうか、観てて(これは…マジなのかシャレなのか?)って感じで、ちょっと笑えるほどだ。。