子供の頃に読んだ本で、貧しいお爺さんが食べるものが何もなくて、紅茶を飲んで空腹を凌ぐ、そんな場面を記憶しているのだが、あれは何のお話だったのか。 富める者と貧しい者の両者が存在するのは、聖書よりも前の時代からそうなのだし、この世に存在する童…

岡﨑 乾二郎「頭のうえを何かが Ones Passed Over Head」より引用です。 リハビリは患者の心身機能の改善を促す訓練です。社会的関係としてみれば心身が社会生活に対してもっていた機能を「恢復」することにありますが、損傷し壊死し、欠損してしまった脳組…

今夜はすきやきにするか、それを先月あたりから何度となく提案して、そのたびにどうも乗り気になれず、自ら言い出したその案を結局引っ込めてしまう。 すきやき。その味わいを思い浮かべると、最近なぜか気が進まない。どうもなんとなく、くどい気がしてしま…

最寄り駅に着いたら、空があきらかに怪しげな色に染まっていた。これはじきに降ってくるとみて、徒歩帰宅ではなくバス乗り場へ向かう。 バスが走り出しほどなくすると、何やら白いものが斜めの線を描き次々とへ落ちてきて、いきおいよく地面に跳ね返ってる。…

大規模な駅では複数のプラットホームが密集していて、その地下あるいは高架上に駅構内があって、商業施設など密集したそのスペースから目指す出入口に向かうとき、それは複数ひしめいている駅ビルデパートの出入口を兼ねているので、改札を出てから地上へ出…

The Zombiesの"Time of the Season"は最近のテレビCMなどにも使われたこともあり有名な曲だが、これは曲としてほんとうに素晴らしくて、この曲が収録されたアルバム"Odessey and Oracle"のリリースは1968年で、僕がこれをはじめて聴いたのは80年代で、当時こ…

ふだんCDやレコードから引っ張り出して聴くわけでもなく、ライブラリに登録してるわけでもないけど、日常のなかで、とくに朝とか、歩いているときとか、そういうときに、なんとなく頭の中に流れてくる曲がある。曲というか、曲未満の、一区切りのフレーズだ…

タランティーノの「レザボア・ドッグス」が、いま映画館でやっているのだな。むかし観て以来、何十年経ったのかと思うけど、でもあの、痛そうなシーンのことが今でも記憶に残っていて、もう一度観てみようとは思わない。 たしか冒頭で、ライク・ア・ヴァージ…

そうか成人式かと思う。色とりどりの着物姿が、今日だけは鳩のかわりに公園を大量占拠してる。いまさらながら、奇妙な催事だと思う。駅前にも、コンビニにも、スーパーの食品売り場とかにも、赤や白が、いっぱいいる。きっとあの二階のファミレスにもぎっし…

Amazon Primeでケリー・ライカート「ウェンディ&ルーシー」(2008年)を観る。ただの好みの問題で、優劣などないし、比較自体が無意味なのは承知の上で、つい「枯れ葉」と較べたくなってしまい、そしてこっちの方が全然いいなあ、と思ってしまった。 貧困、失…

柏のキネマ旬報シアターで、アキ・カウリスマキ「枯れ葉」(2023年)を観る。ロシア・ウクライナ間の戦争報道が、ラジオから聴こえてくる。それは戦争が続いていることを示すと同時に、この時空間が我々と同時代であることを示す。だからそれは同時代であるが…

Amazon Primeで、黒澤明「姿三四郎」(1943年)を観る。戦時下に公開されたこの映画が当時どれほど衝撃的だったかを、リアルタイムでこれを観た人々の残した言葉から今もうかがうことはできる。おそらくは、映画がはじまって間もなくすぐの格闘場面から、それ…

中途半端に遅い時間になってしまい、スーパーの食材にはこれといって惹かれるものはなく、今からつくりたい料理も思い浮かばす、その時間もなく、かといって外食に適当な店も見当たらず、今夜の食事をどうするのか決めかねたまま、二人で家までの道を歩いて…

猫はけっしてそうは思わないだろうが、犬はできるだけ何かの役に立ちたいと、いつも思っている。必要性というものに、自分を溶かし込みたいと願っている。それでこそ我が身の存在の輪郭が、はっきりすると信じている。 犬は嗅覚がするどく、犬は早く走ること…

PlayStation VR2を少し体験させてもらった。前バージョンが2017年だからずいぶん久しぶりだけど、印象としてさほど大きな変化は感じない。しかしやはり面白いことは面白くて、ことに「大きさ」「広さ」「高さ」を臨場感をもって見る手段としては、とても優れ…

年始の挨拶に妻の実家へうかがう。 何十年か前の駅前や大通りを写した写真を見て現在のどの場所かを探すクイズ番組を見ながら、ああここは秋葉原とか、ここは表参道でしょうとか、テレビの前でそんな話をしながら過ごす。 僕は埼玉で育ったので、都内に出る…

新しい敷布団を買ったので、古いものを捨てるのだが、そのままだとかなりの大きさなので、真ん中から裁ちばさみで切って分断する。 この敷布団はたしか自分が実家から持ってきたやつで、ということは少なくとも二十年以上、もしかすると三十年近く使い続けた…

ヒューマントラストシネマ有楽町でケリー・ライカート「ファースト・カウ」(2019年)を観た。こんなに面白くていいんだ…と、意外に思うくらい、面白かった。ちょっとサスペンス的というか、どうなってしまうのか…という不安と期待で最後まで引っ張られていく…

斎藤寅次郎「東京五人男」(1945年)を、ただしyoutubeにあがっていた不完全なもので、これだときちんと観たことにはならないのだが、以下はとりあえずその不完全な条件下でみたうえでのの感想である。 古川緑波。「ロッパの悲食記」における戦時下の特権的食…

スタニスワフ・レムの「ソラリス」を読んでいる。 彼女は存在するのか?という問いはそのまま、自分は正気か?に接続されてしまう。自分が正気でないとしたら、問題は彼女なのか自分なのか、存在とは、私とは何か、この「解決」への欲望の矛先をどこへ向けれ…

年末とはいえ、大船方面へ走る京浜東北線の朝は、まだかなり混雑していて、浜松町を過ぎたあたりからようやく立つ人がいなくなって、座席も空きはじめる。横浜へ近づくにつれて、また人が増えはじめる。 金曜日まで平常どおり仕事なのだが、この一週間はやけ…

ここ数日でたまたまテレビの映画宣伝番組から聴こえてきたせいで、ルー・リードの"Perfect Day"が自分の脳内にもこびりついてしまい、ことあるごとに頭の中で連続再生状態になっている。ヴェンダースのルー・リード好きが、無際限に世間へ拡散されてるように…

休みの日の午後になると妻がお茶を入れてくれる。お茶の種類もいろいろあるけど、先日飲んだアールグレイの紅茶には、思わずため息が出た。何の変哲もない、そのへんに売ってるただの茶葉に過ぎないのだけど、味わい深さにしみじみとした。 冬の室温のなかに…

昨日のことだが、保坂和志の「小説的思考塾vol.14」のためRYOZAN PARK巣鴨へ行く。 きっかけとしてのテーマがあり、モチーフがあり、それを元に考えを巡らせ、言葉をあてがう。言葉それ自体はありふれたものの集積でしかないから、それらはすぐにいつかどこ…

南天子画廊で「岡﨑乾二郎 出版記念展 Ones Passed Over Head 頭のうえを何かが」を観る。 はじめはたどたどしく様子をうかがうような気配だったのが、早急に恢復され、要素がうごめきはじめ、速度を早め、密度を高め、線は植物のように伸び、色は広がりをま…

DVDでジャン・ルノワール「ゲームの規則」(1939年)を観る。そうなんだな、この時点で映画はここまで出来上がっている。というかこれ以降は大きな変革もなく、これまでのフォーマットを使いまわしているだけとも言えなくもないよなと思う。 全体の印象として…

スタニスワフ・レムの「ソラリス」で、ステーション内の混乱状況をひとしきり見入ったケルヴィンは、いっときの眠りから目を醒ます。自分がベッドに寝ていて、そのかたわらには、彼の奥さんがいる。窓の外からの光を背に受けた逆光気味の彼女がまっすぐにこ…

見た夢のディテールは、目覚めたと同時にうしなわれることがほとんどで、よしんばおぼえていたとしても、それを事細かく書き留めておいたからといって、それが何になるのか。あの幸福感や後ろ髪を引かれるような感じが書き留められないのだとしたら、何を書…

先日、やや大きめの"ナット"が必要になり、もしかすると百円ショップにあるんじゃないかと思って見に行ったら、たしかにナットは売っていたのだけど、求める口径のものはなかった。しかし、ほんとうに百円ショップにあるんだなとは思った。 日常で細々とした…

坂田尚子の「FLOWER CLOUDS」を銀座山野楽器のCDフロアで偶然見かけて、坂田尚子という音楽家をはじめて知ったのは今から十年前のこと。その場で視聴して、これはいいかもと思って、そのまま購入したのだった。自分の場合そういう購入の仕方は稀なので、今で…