早稲田周辺に来ることはめったにないので、その街並みが自分には新鮮に映る。思い込みまたは気のせいかもしれないけど、学生や若者や大学関係者やその他地元の人々であろう通行人らの醸し出す雰囲気が、自分の知るどの街とも少し違う気がする。

永青文庫の「黒き猫」(菱田春草)を観る。絵の中から、怪しいやつ…、油断ならぬ…、そんな表情でこちらを凝視している。相手の一挙手一投足に、全神経を集中させている。揃えた前足に、力がこもっている。もし相手に身動き一つでも認めたら、もしわずかにでも近づかれたなら、即座にその場から逃げ去るのだ。お前とは、けっして仲良くしない、そんな決意をみなぎらせた表情を、こちらに向けている。身体に張りつめた緊張が、かすかに逆立った毛並みと周囲の空間との境目を、うっすらと曖昧な線に変えてしまっている。

永青文庫と肥後細川庭園を歩いて、ついでに近傍の椿山荘の庭園にも立ち寄る。永青文庫と細川庭園は、細川家代々の持ち物である。椿山荘の庭園は江戸、明治、昭和と持ち主が替わるが、いずれも当世ごとのお金持ちの持ち物である。

絶やさないこと、その努力はお金持ちだからこそ可能だ。しかし存続するものが何かは、詳らかにはされない。歴史とは万人のものではない。それは仕方のないこと。あるとき、たまたま生きていた私が、たまたま残された物象と、たまたま出会うだけだ。

椿山荘ホテルのロビーは、今どき風なアロマの爽やかな香りに満ちている。いったい何組いるのかと驚くほど、ウェディング衣装の若者らが次々と階段を上がってくる。カメラをもった黒服らがそれを追いかけ、立ち止まってポーズする彼らにカメラをむける。庭園には滝があり、水は池へと流れ込む。池の端からは白々とした霧がたちこめている。人工的に演出しているのだ。視界のかなりの割合まで真っ白に霞むほど。

椿山荘を出て、目の前にある東京カテドラル聖マリア大聖堂にも立ち寄る。たいへん立派な教会だ。ぼくは高校生時代ミッション系の学校だったので、毎朝礼拝があった。あの礼拝堂とは較べようもないほど、この建物は立派であるが、教会の場合その特性上なるべく立派じゃないほうが、どこかエライような気もする…。

教会を出て護国寺まで歩き、ついでにと一駅で下車して、東池袋の古本屋に立ち寄って、そのまま池袋のジュンク堂にも立ち寄って、ようやく池袋駅へ辿り着いて今日は終わり。帰宅後さすがに疲労が色濃い。ログを見るとかなりの歩数が計上されていた。