一昨日だが日本映画専門チャンネルの録画で濱口竜介「悪は存在しない」を観た。はじめて観たとき同様、この映画が1時間46分もあるとは思えない。とてもシンプルで、ざっくり編集されたショートフィルムを観たような印象を受ける。
主人公と娘、、主人公とうどん屋夫婦、主人公ならびに村人と会社員の二人、それぞれの対話場面が、そのまんまという感じで映画内に置かれている。これらの対話は、映画が話を説明するために挿入されてはいるのだが、それだけではなくそれ自体として、つまり彼らはあのときあの場所で、こんな話をしていたという記憶として残る。
対話し、お喋りして、そのことに終始する人間たちと、終始黙ってる非人間(動物/自然)との並置が試みられてるのかな、とも思う。枝から飛び出した血の滴る棘、白骨化した鹿の死骸、冬場は凍り付く湖だけが、人間に与えられたサインのようだ。空を背景に流れていく樹木たち。石橋英子の音楽は、どちらかというと非人間(動物/自然)の側の音、という感じがする。
主人公が、人間の世界の外側に一瞬触れてしまったとか、動物側のセオリーに寄り添ったとか、そういう風には考えたくない感じもして、森が生きているというか、森の視線、森には森の考えが、あるかのようにも思えて、つまり、よくわからないし、考えすぎかもしれないが、あなたがそうしたければ考えすぎてもよいと許容するようなところが、この映画にはある。果たしてそれが映画の美徳かどうかは、これもまたよくわからないが。