老人になるとは、つまりかつての自分に戻るということだろうか、と想像している。
あたえられた時間を、子供、大人、老人の三段階にわけるとしたら、大人の時間がもっとも長いわけだが、はじまりは子供だったので、大人はいわば、子供であった時間の再帰であり、反省であり、反復でもある。
しかしその大人は、子供だった時間を支えにして生きながらも、その本質について、何らかの理由で隠蔽し、欺瞞の色を塗布してはいなかったか、そんなかすかな不安がある。
その大人が老人になり、目を背けていたこと忘れていたことが、一気に押し寄せてくるんじゃないか、これまで放置していた「本当の問題」が、大きく口を開けて、それに向かい合わざるをえないことになる。
でも、もしそうだとして、それは不幸なのか、むしろ幸福なのか、それもまたよくわからないのだ。