RYOZAN PARK巣鴨で、保坂和志「小説的思考塾vol.15」へ。 将棋ルールを習得して一年かそこらで、アマチュア将棋のそこそこのランクに達してしまうとか、常人からすると考えられないくらい高い習得能力をもつ人はごくまれにいて、スポーツ競技をはじめたばか…

夜の10時過ぎに駅のホームで電話してる人。確実に社内か客先でトラブルの様相。対応範囲や責任範疇とかの問答になってるのか、もはや逃げ切れるか捕まるかの、いま瀬戸際におそらく彼はいる。 逃げろ逃げろ…と。なんとか生き延びよ、その口調、その言い逃れ…

来訪者と打ち合わせして、あまり得るところのなかった結果内容を簡単にまとめて、ずいぶん遅い時間にようやく会社を出た。駅へ向かいながら、体全体が重くて、一々気に障るような落ち着かないものが、がさがさとまといつく感じだった。こんなコンディション…

今があり、時間、それは動いているというのを信じるのは、以外に難しい。それが動いているという実感が、私の身体に伝わってこなければ、今停止してますとか、動きますとか、電車内のアナウンスのように教えてもらわなければわからない。少なくとも今、私は…

たとえば自分あるいは身内や家族が、野生動物に襲われて傷つけられたら、そのことは不運・不幸に思うだろうが、その野生動物に対して、恨みや憎しみをおぼえるかというと、たぶんそうではないと思う。野生動物に襲われたというのは、危険物に触れてしまった…

フランス料理とは何よりも量であって、ある一定以上の量を食べなければ本領は見えないものであるとの某ブラッスリー店主の言葉に、なるほどそんなものかと思ったことがあるけど、自分の場合は腰が引けていて、むろん店にもよるけど居酒屋使いを好むというか…

母の傘寿祝いということで会食。久々のフルコースで、満腹が度を過ぎて最後は目を白黒させるはめに。我々はともかく母と十二歳の姪がよくまあ付き合いきったものだ。店を出てからしばらくのあいだ、自分の身体全体がフォアグラ化したような窒息感にしばし苦…

MOVIX亀有で三宅唱「夜明けのすべて」(2024年)を観る。光石研が社長の、あの会社の在りよう。社長の人柄。従業員の態度と、働き方。(ちょっと青山真治「サッド ヴァケイション」を思い出させるような)まるで厚生施設のようであり、社長もまた、過去の癒えな…

およそ十年以上前に録画した番組を妻が久々に再生していたので、それに付き合う。「小澤征爾 復帰の夏~サイトウ・キネン・フェスティバル松本2013~」いくつかあるプログラムの一つ、大西順子トリオと小澤征爾指揮によるサイトウ・キネン・オーケストラ…

作りはマンションだが住宅としてはまったく利用されてない、雑多な業者がたくさん入居してそれぞれ商売を営んでいるのだろう雑居ビルである。一階エントランスも一見廃墟のようだが、入居者一覧にはさまざまな業者名がぎっしりと並んでいる。歩行者へ行く先…

デヴィッド・フィンチャーの映画「ザ・キラー」で、主人公の殺し屋が愛聴してたのはスミスだったけど、不特定多数の色々な人がいて、誰もが音楽を聴いていたり聴かなかったりする。で、ある人はどんな音楽を聴いているか?について、その人の服の趣味や好き…

ウルサイ音楽が基本的には好きだ。スカしてるよりはダサくてもやかましい方がよっぽどいいと思っている。ただしそんな自分自身について言えば、胆力あやしくて、腹の括り方も甘くて、我ながら頼りないので、ウルサイにも程があると、ややへこたれそうになる…

誰もが、雪が降るのを心のどこかで楽しんでいるところがある。黒い夜空からあの毛綿のようなものが降り落ちてくるのをいつまでも見上げながら、この寒さのなかに我が身のあることを、まるで汽車のように身体の内側から健気に発熱していることを、なぜか愉快…

笹野真「手のひらたちの蜂起/法規」が面白い。読んでいる間、何か不思議なムズムズ感があり、何事かの成り立ち、現実的な気配の漂いがあり、何事か存在感の手応えが感じられる過程を味わうのが楽しい。 以下は自分なりの自分が、おそらくそのように読みたか…

伊丹万作「無法松の一生」(1943年)を観る。これが無法松、これが阪東妻三郎か…。日本人がことのほか好む人情劇の典型的な登場人物。アウトローで喧嘩早くて直情的でありながらも、義理人情に厚く恋愛には奥手な、けして悧巧ではないが明るくて健やかな気のい…

実家には誰もいなかった。誰もいない実家に帰ってくるのは二十代のとき以来だ。誰もいない実家に久々に帰ってきてまず困るのは、玄関や廊下やその先の照明のスイッチがどこにあるのかすぐには思い出せないことで、あちこちのスイッチを押して探し回る。思い…

本当は先週か先々週に来たかったのだけど、同窓会があるので今日来たのだと美容師の人に説明したら意味が伝わらなくて、話がガタガタになった。ぼくは髪を切ってスタイリングもしてもらってから同窓会へ行く予定を立てたので、ほんとうは先週来たかったのを…

YMOのTECHNODON(1993年)は、もしこの作品がなかったらどうだったのか。YMOの歴史的にこの作品は、良くも悪くも欠かせない何かだったのではないか。すくなくとも90年代、これがなかったらYMOの歴史は完全に途絶えたことになるので、たしかにいつかどこかで再…

バスター・キートンはなぜ、ブルース・リーやジャッキー・チェンのようではないのか。 それはブルース・リーやジャッキー・チェンが、すでに映画という媒体をよくわかったうえで、そこに自分の身体をどのように挿入するべきかを、あらかじめ計画したからで、…

三宅さんの日記で知った笹野真「手のひらたちの蜂起/法規」(いぬのせなか座)を入手する。きれいな装丁である。まずは一度通読した。後日はじめから再読するつもり。 一読したかぎり、まず身体から出ていく/戻ってくる感覚をもとに、その不確かさ、信用な…

U-NEXTでケリー・ライカート「ショーイング・アップ」(2022年)を観る。オレゴン州にある美術系大学、その学生たちと、教員や教務系スタッフたちと、レジデンス制度で滞在してる作家と、近隣住民ならびに大学卒業後も住居兼アトリエを構えて制作を続ける若い…

小菅ジャンクションが、綾瀬川の上空に浮かんでいる。巨大な二匹の蛇が、それぞれの頭を同じ穴に突っ込んでいる。 十数メートル頭上を、何台もの車が走っていく。あの運転手たちは自分らがいま空を飛んでいることを、わかってないのだろうなと思う。飛ぼうが…

ジャン=リュック・ゴダール「フォーエヴァー・モーツアルト」(1996年)をDVDで観る。90年代はこうだったのかと、いやまさか、本当なの?と、まるで自分が生まれてない時代のように、感じるところもある。ならば私は何時代の人なのか、よくわからなくなる。そ…

荒川の川幅は広い。橋を歩いて渡るとき、妻と二人でのんびり歩くと、渡り切るまで十五分とかそのくらい掛かってるかもしれない。 いつも思うけど、橋から川面を見下ろすと、これは空を飛んでるのと同じだなと思う。真下が全部水で、それが見渡すかぎりずっと…

人が入ってこない柵の内側の、日当たりがよく暖かい、じっとしていればいくらでもそこにいられる場所に、猫はじっとしている。エアコン室外機の上に、すぐ脇に干されたスリッパの裏側に鼻先を近づけるようにして、猫がじっとうずくまってる。何もそんな汚れ…

マティスの「ヴァリエーション」と「プロセス」写真群を見ることの難しさは、それがつい、完成とか結末に向けて進みゆく過程のように考えてしまいがちなところにあるだろう。一連の物事が変化していくとき、それはどうしても「より良くなっていく」ことが想…

連続講座「未だ充分に語られていないマティスとピカソについて」でのマティス「赤い部屋」分析を聞いて思ったこと。なぜこの絵から「すべてが流動しつつ静止していて」「見ているこちらの足元をすくわれ、知覚の根底を揺さぶられる」ような感じを受けるのか…

Amazon Primeでケリー・ライカート「ミークス・カットオフ」(2010年)を観る。最高だった。見事だった。なんというモッタリ、モタモタした展開であり動きだろうか。ロード・ムーヴィーであるなら腹を括ってここまでやらなきゃということか。徹底した引きのシ…

RYOZAN PARK 巣鴨で、古谷利裕 連続講座 第1回「未だ充分に語られていないマティスとピカソについて」。ひとつの絵画をとことん観る。つまりとことん分析し、腑分けし、受け取ることの出来るイメージを並べて吟味してみる、これは絵画の分析でもあるけど、…

夜、Eさんと上野で待ち合わせる。すし屋に電話したけど出ない。そもそもあの店で当日予約なんか無理だろと思い直し、やはり上野は撤退しよう、北千住に逃げようとなる。急遽候補とした店に電話したらOKだった。それどころか珍しく店内がら空きだった。おかげ…