バス


十一月二十三日の休日。夜の六時を過ぎていて空はすっかり暗くなっていたが、完全な夜とも言いきれない暗さで、冬の夕方六時くらいの、その季節のその時間帯特有の暗さだった。あまり寒くはなく着てきたニットの上に薄手のコートで丁度良かった。バスが来たので乗ろうとして列の最後に並んだ。乗車して目の前の運転席のすぐ後ろの席が空いていてその席以外はたぶん全部埋まっていたので、そこに坐った。すぐにエンジン音が高まりドアが閉まりバスが発車した。僕の坐った席は前輪の真上の一段高くなっているところの席なので、ステップに足をかけて高い段に立ってその場のシートに腰を下ろす感じなのだが、普通に足を並べていられるほど前のスペースが広くないので、窓側の片足だけやや膝を立てて無理にそのスペース内に押し入れて、足の内側に少しある床のスペースに酒瓶や野菜なんかが入ったビニールの買い物袋を置いて、もう片方の足は腰掛けた場所のスペースに収納することはあきらめ、下のステップに足をかけたままの格好でいた。片手の人差し指と中指で、買い物袋のビニールをしっかりと引っ掛けていて、床に置いた買い物袋がバスの揺れで傾いだり倒れようとするのを引っ張りながら抑えていて、袋から飛び出した長ネギの先が親指の付け根あたりにずっとあたっていて、それが意外なほど冷たかった。次、止まります。というアナウンスが流れ、真上前方と通路の向かいの席の斜め上に紫色の光が灯り、自分の顔のすぐ真横の窓枠の少し上にもやはり紫色のランプが光った。やがてバスが停車すると後ろで誰かがごそごそと降りていき、車内に灯っていた紫色のランプが一斉に消えた。ため息の漏れる音がしてドアが閉まり、またバスが身体をきしませながら前進を始める。酒瓶のゴゴ・・・という床に擦れながらバスの制動につられて動こうとするときの音が足元から聞こえて、ビニールの買い物籠をひっかけている指をひっぱる感触もあった。窓の外は完全に夜となってしまい、車内は暗くほとんど何も見えなくなってしまった。僕も座席に坐っていながら、自分の足元がほとんど見えなかった。指先から下にぼんやりと白く浮かんでいるものが、買い物袋だろうということだけはなんとなくわかったが。しかし車内もほぼ真っ暗な状態で、思わず振り返ってみても他の乗客の顔などまったく見えず、後部座席までのがらんとした無人の車内であるかのようにも思え、しかしよく耳をすませば人の気配はたしかにあるので暗いだけでさっきのままだとは思えた。ときおり挿し込む窓の外の街灯や店のネオンの光が車内を照らすので、そのたびごとに振り返って車内を見た。人の顔までは見えないが、誰もいないわけでもないと思えた。しかしバスが進みやがて外に街灯もネオンもない場所に来ると、視界は完全に真っ暗と言って良かった。もはや目を瞑っていても開いていても、どっちでも変わりなかった。しかし、やがて次が自分の降りる停留所だとアナウンスが放送されたので、僕は自分の真横の、自分の頬骨のすぐ脇あたりを手探りして、窓枠に接地されているボタンを発見してそれを押した。また紫色のランプが車内を彩った。しかし思ったよりもその色は明るくなくて、さっきの光り方とは少し違ってしまったかのように思えた。この後あと数分もすればバスは停留所に止まるだろうが、なぜか自分がちゃんとこの座席から立ち上がってバスを降車できるのかどうかが、妙に心配になり始めた。甘く考えていたけど実はかなり難しい事ではないかと思われ始め、不安が胸を突き上げはじめた。それに、よしんば仮に無事、バスを降りることが出来たとしても、それから先はどうすれば良いのか。まったく光の届かない真っ暗闇の、周囲は海でぽつんと一メートル四方にコンクリートに床が突き出ているだけの、その真ん中に立ち尽くして波の音を聴いているしかなすすべがないように思えた。