老人・墓・夜・牡蠣


 老人電車に乗った。老人電車は、路面を走る。停車場に止まって、乗降客の出入りが済むと、また走る。走り出すとき、車内の角に設置された直径15センチくらいのベルが、リーン!と鳴る。それがなぜか、行く年来る年の、年が開けて寺の鐘が鳴っているときのことを思い出させる。昼間の商店街に人通りは少ない。車内は明るく、暖かな日差しが注いでいるが、老人ばかりが、座席にぎっしりと座っていて、まるで乾いたつぼみのようだ。男女共に、分厚いダウンジャケットを着ていてもこもこと着膨れして、色とりどりの、スーパーマーケットに売ってるビニール袋みたいな、がさがさ、ごそごそと、こすれて摺りあわされるときの音をひっきりなしに立てながら、狭いところにぎっしりと詰まって、身を寄せ合って車両に揺られて、顔だけをぎゅっと、こわばらせたような表情で、固まって、すーっ、すーっと、ただ呼吸だけを繰り返している。明るい日差しの下で、全員が真夜中のように静まりかえっている。目だけがぎょろぎょろと動いている。抱きかかえられた赤ちゃんの真っ黒な二つの目は真上をきょろきょろと見回しながらふいに吊革を掴もうとして短い腕を上に伸ばす。座席の老人達は下を向いたまま、目を瞑って、眉間に皺を寄せて、何も見ず何も聴かず、ひたすら身体をこわばらせている。背中に背負ったリュックサックがぱんぱんに膨れ上がっている。手に持った紙袋の中には丸められたカレンダーがぎっしり入っている。隣の男性はゆっくりと手を動かして小さく折りたたんであったスポーツ新聞をそっと広げはじめて、細かい数字のいっぱい書いてある箇所をあらためて覗き込みいくつかの箇所を丹念に見直している。停車中、運転手が乗り込もうとしているまた別の老人と揉めている。そんなんで乗れるわけネーじゃねえか!発車します、と、全部マイクを通して喋っているので、車内が軽い笑いに満ちる。プラットホームにぽつんと、一人の老人が走り行く車体を見つめている。診察券じゃ乗れませんよ、ちゃんとそっちの券を見せてくださいよ、次の電車まで待たなきゃね。あら間違えたのね、診察券出しちゃったのよ、わかんなかったのかしらね、前からは乗車できませんよ、だからちゃんと放送聴いてて下さいね、次の停車ですよ。若い夫婦、子連れ家族。ベビーカー、ショッピングカート、プレイステーションヴィータ、などが居たり居なかったり、猛烈なスピードでメールを打ち込んでいる女性の指。中華屋、蕎麦屋、寿司屋、鰻屋、中華屋、蕎麦屋。吊革に掴まる。行く先をまっすぐに遮る婆さんの腕。ショッピングカートが、がたがたと人にぶつかる。下車しようとする婆さんのカートの車輪が車体とホームとの溝にはまって困っていたので取っ手を掴んで持ち上げて外に出してあげたら、そのカートは驚くほど軽かった。婆さんの足も少し宙に浮かんでいた。

 雑司が谷で降りる。雑司が谷霊園を少し歩く。さきの婆さんも前を歩いていて、しばらく行ったところでふっと消えた。雑司が谷。東京とは思えないほど閑散としている。未整理の空き地や朽ちた空き家などがやたらと目に付く。土や雑木林も多い。冬の容赦ない凄惨な感じが剥き出しになっている。人気のない雑司が谷霊園。銀色の曇り空。最近お墓を歩くと、妙にこころが落ち着く。全然知らない家の墓の側面に書いてある、その家の人々の享年を読むのが楽しい。昭和初期の、一歳や二歳で亡くなってる子供たち。若い人は戦争か病気。明治時代に七十歳没なら江戸時代を生きてきた。雑司が谷霊園永井荷風夏目漱石やジョン万次郎や東條英機なんかの墓があるらしいが、一個も見つけられない。さすがに寒さが耐え難い。地面は土で、ところどころに霜柱が立っていた。霜柱を踏むなんて、何十年ぶりのことだろうか。墓を出たら、靴の裏に土が大量に付いてしまって、いつまでも道路を蹴って土を落としながら歩く。

 そのまま歩いてひさしぶりに池袋へ。ジュンク堂池袋店もひさしぶりに行く。そのあといいかげんな店でいいかげんな食事をしてしまって、おいしくないものをわざわざ食べてしまって後悔する。冬用コートを少し見たけどやはりウンザリしてきて、もう今年はコートを買う事自体をあきらめる。何を見てもウンザリする。タダでも着ないようなのばっか。コートを見てウンザリというよりも、あの空間それ自体にもう耐えられない。でも、また忘れた頃にひょいっと買おう。春先に買って、来年の冬の初めに着ればいいだろう。今年はもう、寒さは我慢してありあわせのヤツだけで過ごすことにした。

 山手線で帰ってきて、最寄り駅に着いたら地面が濡れていた。雨が降ったようだった。路面が濡れているのがなぜか嘘のように思えた。どう考えても、雨上がりという雰囲気ではないのだ。水でも撒いたのでは?と、しばらく疑っていたほどだ。しかしたしかに気温が、日中よりもかすかに上がっているようにも感じられた。空は、上の方がほとんど黒い雲に覆われていて、下三分の一くらいが、まだ青みの残る晴れた空で、その境目を濃淡の陰影に深みのある雲が覆っていた。かなり色彩豊かな曇り空である。そして昨日と同じように、青の濃さが深くなるのではなく、だんだん彩度が失われていくようにして、空全体が夜の暗闇に塗れていく。時計を見たらたまたま昨日とほぼ同じ時刻の四時五十五分くらい。

 帰ってきたらクール宅急便。開けたらアコヤ貝の貝柱と牡蠣がごろごろ。狂喜する。歓喜に吼える。さっそく牡蠣の殻を、手持ちの武器金具類全てを使って剥きまくる。殻は固い。刃物同然の鋭さで掴む手を傷付けようとする。冷水に冷え切った手に擦過傷および裂傷を両手に数箇所負いつつ流しに糸を引く血液を見ながらどうにかすべての殻を開くことに成功する。レモンを軽くかけただけで、そのままむさぼり食う。口内に、直に海水が流れ込んでくるかのような衝撃。この塩味。香り。歯を押し返す貝肉のふくよかさとその中に潜む鋭利な滋味。味わい自体のあたかも金属のような冷たい輝き。気が遠くなるほどの美味。これはもはや、食物の文化的な洗練の果てにあるはずの旨味ではなく、もっと原初的な、地面にぬかづいて土を直接口に入れて中の養分を摂取したら生が継続するから旨い、みたいな感じに近い。アコヤ貝はとりあえず煮付けで。これも旨い。ぐうの音も出ない。そうだ忘れてた、後で刺身醤油で生で食おうと思ってたのだった。と思ってさっきまた食った。はげしく糸をひいて、粘りとコクと歯ごたえが素晴らしい。しかし、歯を立てた際の、なんという抵抗感であろうか。決して壊してはいけないものを何度も何度も歯で噛み砕いてしまうその一々の罪悪感とそれゆえの恍惚感。この手のものはもちろん食あたりの恐怖と背中合わせではあるが、いったん口に入れたらもう、何も考えられなくなる。おなかいたくなってもいいやとはっきり考えている。しかし生食が許されるのは今日までであろう。明日以降は危険度が高まる。まとめて全部天ぷらあるいは煮付けか炊き込みご飯で一網打尽である。