秋の香


たぶん2017年において、もっとも素晴らしい晴天の一日だった。
ベストだと断言まではしないとしても、年内の上位3daysには余裕でランクインするであろう一日だった。
完璧な温度調整、なめらかさと伸びやかさ、コクとキレ、明るさと暗さのバランス、その他諸々がめまぐるしく揺らぎながら、その都度見事に調和して、一瞬ごとに異なる成果を生産し続けているような、空気の状態だった。
ただし、やや乾燥はしていた。鼻や口元の状態でかすかにそれを感じた。
つくばエキスプレスで、つくば駅まで。
駅から松見公園を経て、筑波実験植物園まで歩いた。
行ってわかったが、紅葉にはまだかなり早い。今の状況だと、今月末くらいにピークを迎えるのではと思わせる。
しかし散歩するには絶好の日と言えた。
この季節はまず何よりも、香りがすごい。この、秋としか云いようのない香りの立ち方はなんだろうか。
朝からの気温によってあたためられた腐葉土が水分を蒸発させるときの香りなのか、枯葉が土にまみれてぼろおろと崩れていくときに発される香りなのか、土の匂い、枯葉の匂いとも感じられるし、光の匂い、太陽の匂い、空気中の様々な成分の匂いとも感じられる。
その実体は、わからないけれども、とにかく明確に匂い立つ、人間の世界から来たのではない匂いである。
ただし誰もが、たぶん子供の頃の、ほんの一時期だけ身近で親しかったはずの匂いである。
どこかで、落ち葉を燃しているのかもしれない。煙と炭のような匂いが漂っているのも少し感じる。
また、広葉樹林をすぎて針葉樹林の一帯に入れば、また胸のすくような、さわやかこの上ない空気が充満している。
ヒノキの葉を指でこすり合わせて、その匂いを嗅ぐ。そのまま麻薬中毒患者のように、いつまでもそれを嗅ぎ続けたい。
マツの葉もそうだ。単に樹木の下を通り過ぎるだけで、おそろしく細かい粒立ちとなった香りがあたりに降っているのがわかる。
体内を経由して、脳や心臓の中まで達するのではないかと思われるくらいに、覚醒的な香りだ。
ふたたび、広葉樹の一帯へ。さっきから何度か、かすかに香っていた上品なピーナッツバターのような香りは、落葉時のカツラから発されるのだとはじめて知る。
帰りはユリノキ通りを通って駅まで、のはずだが、残念ながらユリノキは見事に剪定されてしまって、寒々とした並木の道になってしまっていた。
仕方がないこととはいえ、樹木は通年観察していると、意外なほど頻繁に剪定されて、その度に生長した枝を失う。
見込みが無いとされれば根元から切り取られてしまうし、樹木からしてみたら、そこに居るだけで済むものではなくて、定期的に容赦なく棚下ろされて、判断によっては即時見切りを付けられてしまうものだ。
家に帰る途中の蝋梅も切られてしまって、跡地にはマンションが建造中である。
なんだかなあ、という感じである。