セインツ -約束の果て-

AmazonPrimeでデヴィッド・ロウリー「セインツ -約束の果て-」(2013年)。「ショットとは何か」で言及されているので観た。かなり良かった。はじまって早々に、もう逆らいがたく、確固たる世界のなかに閉じ込められた人達というか、止めようがないある運命に翻弄されている登場人物たちの有様を眺めやるしかない、この「どうしようもなさ」の手触り感がすごい。

強い西日に照らされ、あるいは夜の暗闇に沈んで、かすかな照明を受けて、登場人物たちはまるでオランダ絵画の肖像のごとくぼんやりと顔輪郭の半分を浮き上がらせるだけみたいな、ひたすらほの暗い画面が全体を支配している。誰もが余計な無駄話はせず、うつむいて歩いてる。陰鬱で、怪しい気配、悪い予感、不安、悲観的な未来の予想がある。それと同時に一縷の望み、希望、歓びもある。誰もがおそらくそれを、心のうちに感じている。

ヒロインのルーニー・マーラの、登場人物としての「心象」を、演技とか演出とか照明とか、それらの特定の要素だけが飛び出してくるのではなく、あらゆるものが均等にそれを支えている感じがする。養父役のキース・キャラダインなど顔だけでも素晴らしいのに、こういう映画にこういう顔の人が出てるというだけで、おそろしく贅沢なものを観てる感じがする。

よくよく考えてみると、けっこう変な話だと思うし、ツッコミどころもありそうなのだけど、そういうことはどうでも良くなってしまうほど、映画としての緊張感や訴求感が高い(というか、こんな話なのに、よくもまあこれだけ…と思う)。濃密ながら物語の運びはテキパキとして無駄なくて完成度高い。