東京ステーションギャラリーで「生誕130年 前田寛治 ポエジイとレアリスム」を観る。ぼくは昔から、竹橋の近代美術館所蔵でたまに常設展示されている前田作品(黒衣夫人像と裸婦)が好きだったので、だから今回の出品図版を見て、どの作品も思ってた感じと違うので、あれ?と違和感をおぼえもした。

近美の二点はやや古典の香りを残した地味ながら上品な絵という感じだが、この二点は必ずしも前田寛治の画風を代表するものではないのだなと、はじめて知る。ちなみに前田寛治は、一八九六年に生まれ、一九三〇年に三三歳で死去している。このこともはじめて知った。

前田は二十代の早々でセザンヌやルノワールやゴッホに強い感銘を受けている。そんな彼の作品ははじめから高いレベルで近代絵画を解釈する力量を証明しており、作品としても充分に強く腹が据わっていて、展示会場の一室目からいきなり見応えがある。

十歳近く年上の中村彝とは異なる作風だけど、始まりからきわめて高く確かな技術力を有した、早熟な画家である点は共通する。というかきっと明治時代、いやもっと昔から、この子は絵が上手だから東京美術学校にでも通わせたほうがいい、みたいな話になるタイプというのは、つまりこのくらい突出して上手で、その中でもさらに手の届かないレベルの子だったのだなと思う。

郷里の景色や家族や周辺人物といった、明治大正時代の土着的な世界をモチーフにしつつ、西洋絵画というメディウムおよび技法を扱うにあたって、違和感や強引さ感じさせることがない。はじめから油絵具に慣れているというか、体質に合ってる感じがする。

ただし作風は、まるで夏のお天気のようにコロコロと変わる。変わるというよりも、ひたすらまさぐる。何が正解か、何をもって自分の仕事に構えるのかを手当たりしだいに試している。

おどろくべきはどの挑戦にも、失敗や破綻がなく見事な成果におさまってしまう点で、それがかえってこの画家の弱点ではないかと思われるほどだ。とにかく巧みで器用な若者ではあるけど、ただしこれがフランス留学前後で、また変容してくる。染まりやすく熱しやすいところも、また若者である。

まずはマルキシズムだが、何がしかの「思想」を知ってしまうと、作品は多くの場合こうなるのかな…と言わざるを得ない、やけに生硬で説明的なところが出てくる。絵が別の何かに奉仕させられてるとは、まさにこれだなと思う。

とはいえ、このことがあったから彼の近代解釈は、やや後退せざるを得ず、結果的に新古典主義的な様相を帯びることになり、不思議な折衷の香りが、その絵から醸し出されるようになったのではと思う。それは進化すべきものとしての絵画をアグレッシブに推し進める意欲というより、その美に寄り添ったまま閉じたいという、内向的で慰撫的な志向ではないかと思う。

とくに女性をモチーフにしたとき、その傾向が顕著になるように思われる。フランスで幾度かモデルとなった女性への個人的感情もそれを助長させたかもしれない…と、そこまで言うと、話が単純なドラマに過ぎるかもしれないが、何しろ二十代の若者なら、そんな人物の毎日が、大義名分と脆弱さに分裂する単純なドラマみたいに、すなわちそういったことで「仕事」が変わってしまうとしても、べつにおかしくはない。

そんな留学中から帰国後にかけて、裸婦の大作が複数あるが、まず明らかにマネのオリンピアが参照されつつ、絵画形式としては前世紀の香りを残す一作目があり、さらにより色調を抑えた、ほとんどモノクロ的空間内に、強く形態をデフォルメされながらも古典的陰影によって暗闇にふっくらとやわらかな厚みをもって存在する裸婦の二作目が、間に小品を挟んで隣り合っている。

この二作目が近美所蔵で、ぼくがこれまでにも何度か目にした絵で、そしてぼくが今回の出品作のなかで、やはりもっとも惹かれてしまう作品なのだが、ただやはり、これだけが異質というか、少なくともこのような傾向の作品は、それ以降に描かれた絵のなかにほぼ見当たらない。

帰国後の裸婦シリーズも、それはそれで説得力をもつ、絵としては悪くないものだ。奔放だが勘所は的確に対象をとらえて画面を創っていく速度と視座がすごい。ただし如何にも日本の近代画家っぽい。フォービズムの優秀な解釈といった感があり、感心はするけどあまり心は踊らない感じ。とはいえ仲間らの作品に顕著な、モロにブラマンクな、ブラマンクの悪いところだけを抽出したようなナマな部分は、前田寛治にあっては(一部をのぞき)さすがに抑制されてはいる。

色でいうと、赤褐色を扱わせたらこの人は見事だと思う。この色をこんな風に扱って、それがとめどなく流れ出ることがない、絵として収集つかなくなることもない、それだけでもすごいと思う。

まあこの時代、早く死んでしまう話は珍しくもないが、しかし、こうまであっけなく人は死ぬものか。もしこのまま長生きしたら、もっと面白い作品を生み出したのかどうか、それはそれでまた別の話だろうが。しかしさすがに与えられた時間があまりにも短すぎた。

いわゆる早熟の夭折画家みたいな物語は、絵画というジャンルの面白さには、まるでそぐわないものだなとも思う。年代を追って、その年齢を意識しつつ、ひとつひとつの作品を観ているけど、描いた人の年齢とか条件は、絵画作品そのものには含まれてなく、ただ良いかそうでもないか、それだけがあって、だからこそ絵画は絵画として面白い。

「この時代、この年齢なのに…」とか、後付けの思いは出てくるし、そういう要素で感想も書くけど、それは、絵を観て感じ取った何かとは、じつは無関係である。