安岡章太郎「私の濹東綺譚」を読んでいる。安岡章太郎は一九二〇年生まれで、永井荷風は一八七九年生まれ、四十一歳の差がある。そんなにあるのか…と思う。

この年齢差を一九七一年生まれのじぶんにあてはめると、一九三〇年生まれの人物が該当する。さらっと調べたかぎり開高健、その一つ上に色川武大、二つ下に江藤淳、小林信彦がいる。そうか、そんな感じの年齢差か…と思う。じぶんが子供のころ、あるいは若い頃に、旺盛に活躍してた人物…という感じだ。安岡章太郎にとって、当時の永井荷風はまさに現役であり、彼らは東京のあちこちをうろついていたはずだから、たまたま通りですれ違っていてもおかしくない。

とはいえ若い読者が、そのような作家が書いたものを読むとき、世代から来る知識や経験から、わかることとわからないことがある。濹東綺譚の刊行は一九三七年で、安岡章太郎は一九四〇年頃だから二十歳前後に書店でそれを買って読んだ。「ぜいたくは敵だ」のような標語が、街のあちこちに目につき始めた頃だ。

作中で主人公が「お雪」を「明治年間の娼妓のようだ」と思う、その「明治年間の娼妓」が、安岡章太郎にはわからない。

当時の安岡章太郎でもさすがに、人力車に乗って目的地へ向かう芸者を見かけたことはあった、とくにめずらしい景色ではなかったという。それでも「明治の娼妓」と言われるとわからなくて、つい高橋由一の「花魁」の絵を思い浮かべてしまい、いくらなんでも「お雪」があれではなかろうと気を持ち直す。

わからなさにおいて、安岡章太郎でさえ、もはや明治年間とはそれほど遠いものだったし、同世代で永井荷風的なものにまるで無関心だった人間も多かったとも言う。当然と言えば当然のことだろう。

が、しかし濹東綺譚という作品の素晴らしさの核の部分は、そのような時代考証の理解度とはほぼ関係がない。というか変わるものと変わらぬものの均衡のなかで、如何にも紋切型で凡庸な、男女の出会いと別れが描かれているというだけで、しかしそこに読み取るべきものは、まったく劣化することなく昔も今もただそこにある。

ストーリーも平凡だし、叙述も格別際立ったものであるようにも感じられない。それでいて読み終わると。極めて上質のコンソメ・スープを口にしたような、こくのある味わいをおぼえるのである。つまり、このスープには、それだけの元手がかかっており、贅沢な材料をふんだんに惜しみなく使い、さらに手間ひまも十二分にかけて作られたものなのだが、一般読者には到底そこまでは読み取れまい。私自身、学生時代に初めてこれを読んだときはそうだった。ただ、読後に何となく高雅なものに触れた心持よさを覚えた。

と、はじめて「濹東綺譚」を読んだ直後を思い返して安岡は言う。