週末報


金曜日は23:00まで仕事したおかげで、進捗としてはほぼ一日分稼いだ。まったくラッキーだった。・・・って、残業したんだからあたりまえである。こういうばかばかしい倒錯が冗談でなくなってくるから困る。


金曜日の夜というのは、ある程度遅くなると、どの店もおそろしく冷たい。客扱いどころか人間扱いしてくれない。何なのお前?突っ立ってないで帰れば?みたいな態度を取られる。金曜の夜は、だからきらい。けして幸福にはなれない。家のすぐそばのいいかげんなラーメン屋で泣きながら野菜炒めともつネギとビール。金曜の夜。


土曜日。浜松町からモノレールで天王洲アイルへ。寺田倉庫本社ビル2階 ギャラリースペースで「Re-collections!! 文化庁買上優秀美術作品展」を観る。そのあと周辺を散歩しながら徒歩で品川の住宅街を抜け、品川女子学院の脇を通って、御殿山トラストタワーの庭を見下ろしながら、原美術館にて「サイ・トウォンブリー展」を観る。


品川周辺の水際も、とてもいい。


生牡蠣が食いたい、と言って駅近くの店へ。しかし高い。五個か六個でグラス二杯飲んだらけっこうな値段になる。ばかばかしくなる。最低でも三十個くらい食ってボトル一本空けたい。もしそれをやったら、生牡蠣と酒だけなのに、たぶん二万円くらい行くだろう。バカバカしいのでそんなことはよっぽどでなければやらないけど、でも田舎の漁港を訪れたら同じことがリーズナブルにできるか?といったら、それもじつはけっこう難しいのだ。金さえ出せばとりあえずOKということで言えば東京最強である。だから全体的には、ほんとうに馬鹿らしいのだ。


する事もないし、上野に行こうよ、困った時は上野だな、と行って、御徒町をふらふらと歩く。不忍池は蓮の葉が濃厚な緑の渦になっているけど花はまだ先。池の周辺は汗まみれになった大量の人間どもが干物にように柵にへばりついている。こうなったら、きっちりと冷えた冷酒とお刺身だけあれば・・・となって、またふらふら歩いてお店の中へ・・・。


でも良かった。蒸し暑い日はこれしかない。


家に帰って「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」DVDを見る。ライ・クーダーの顔。キューバ楽家の映画とも言えるが、ライ・クーダーという音楽家の「意味」というか「在り方」を鮮やかに記した作品とも言える。ライ・クーダーというソリューションを挿入した結果、はじめて目の前にあらわれたキューバ楽家たちの姿が撮影されているということで、もしこれではない別の何かが挿入されれば、また違った何かがあらわれたのだろうとも思える。これら音楽対するライ・クーダーの関わり方が、映画というものに対する映画監督の関わり方を思わせるものがあるかもしれない。各ミュージシャンの顔を見ているだけで幸福な思いがあふれるが、それをまなざすライ・クーダーの柔和な顔。音に耳をすませるときの真剣さも印象的である。観終わって、素晴らしい音楽を聴いた満足感というよりは、面白い映画を観たときの感じの方が、強く残るように思う。


終盤近くの、カーネギーホールのライブ手前での、水際の船着場みたいなバルコニーみたいな場所で、椅子にぐったりと寝そべったライ・クーダーがいて、パーカッションとベースの人たちが演奏してるシーン、超いい。ああいうシーンを紛れ込ませるだけで、やっぱりヴェンダースは凄いねということになる・・・。ボーカルのおっさんがドミノしてるシーンとかも、ほんとうに素晴らしい・・・。なんかあのシーン見てたら久々に猛烈に「絵を描きたい、人が机を挟んで向かい合って何かしてるところを!!」と一瞬思って、頭の中でぼーっと考えてしまった。たぶんセザンヌのカルタ遊びのつまらない真似事みたいな絵になってしまうのかな。


今日は、借りたDVDからまずはホン・サンス「ソニはご機嫌ななめ」を。観たのは二度目だけど、ソニ役のチョン・ユミはかわいいですね。思ってたよりも、これはわりと図式的な構成でわかりやすい方だなと思った。しかし、大雑把な反復だけでつくられた物語は大胆としかいいようがない。各登場人物に似たようなことを会話させて、いくつかの要素をおそろしく単純に乱暴に反復しているだけ。そこからほんの少しずつはみ出してくる部分やズレの部分をちょいちょい散りばめて、全体的に手早いスピードで無理やり作品のかたちにまとめあげてしまっているだけ、みたいな。とにかく早くて要素だけで爽快である。


映画を観てたら「チキン」が喰いたくなって、スーパーで安いフライドチキンを買ってくる。こんなもの久しぶりに食べた。


夕食後「アヴァンチュールはパリで」を観る。食後なので眠い。というか、ホン・サンスの映画は基本的に眠い。実際には、いったいこんなものを観続けていて、そこに何の意味があるのか?ほんとうにこの時間がまったく無駄ではないと誰が言い切れるのか?・・という根本的な疑問とのたたかいである。


しかし「アヴァンチュールはパリで」はまだ、作品を成り立たせる根拠となったものの生々しさというか、根底にあるもやもやとした衝動的なものが感じられて、これは面白かった。「ソニはご機嫌ななめ」まで来ると洗練がそれなりに極まりかけており、ある種のマリエラが香りもするのだが、「アヴァンチュールはパリで」にはある種の豪快なグルーブがある。


今調べたら、僕の今まで観たホン・サンス作品の中で「アヴァンチュールはパリで」の製作年が一番古い。ホン・サンス作品の、男性の性的欲望から来る夢想を基盤として、それが夢となって論旨も根拠もなくつじつまも合わないまま反復してしまう感じの本作はかなり原型的な部分があるように思った。というか、それ以降のホン・サンス作品は多かれ少なかれすべてが夢そのものの映像化ではないか。