翌日

このブログを昔から読んでくださっている少数の方はすでにご存知かもしれないが、僕は昔から、じつに頻繁に財布を落とす人であり、ことに最近は、年に一回くらいの頻度で騒いでいる気がするのだが、今更ながらいったいなぜなのか、まごうことなき貧乏人のくせに。君は、そんなにお金が、嫌いなのか、いいえ、おれはお金が、大好きです。大好きだけど、大好きであるがゆえに、時折つれなくしたくなるというか、財布を落とすというのは、ほんとうにガックリと心身共にダメージでかいのだが、その中のどこかに、またやってやったぜ、ざまあみろという思いもかすかに含まれてもいる気がする。ケチくさくてさもしい復讐を遂げたあとの虚しさに近い思いの中にいる気がする。でもいったいそれが何に対してどう溜飲を下げたことになるのかは、よくわからない。

何しろ昨夜未明、泥酔して帰宅、財布失くしたと妻に告げたら、とっくに就寝中だった彼女は当然ながら激怒。その場で店に電話して忘れ物を確認したが、とくにないとの返事。やがて僕は泥のように眠ってしまった。明け方になったらもう一度来た道を戻って探すべきではないか、店の周辺をよく探してみるべきではないかと、妻は眠っている僕の傍で様々に思い巡らしているうちに眠気が失せてしまって、ついに夜明けまで一睡もできなかったとのこと。朝になっても熟睡中の僕を起こして、はやめに来た道を確認してきた方がいい、今すぐ行った方がいいと言う。僕はのっそりと起きて着替えてよたよたと出掛ける。昨夜の店のドア前まで行ったものの成果なく、一応警察には届出を出し、すごすごと帰宅してカード類の紛失手続きなど済ませて、そしてまた眠る。次に起きたら正午前。ああ久しぶりに、やらかした翌日を迎えたときの、この気分だなあ、この「やっちまった」感とともに目覚める感じ、年一度の紛失祭りもイベント化しつつあるよなあと思って寝室を出る。遅めの朝食兼昼食をとり、午後になって妻はようやく寝室に移動して浅く眠る。

しかしうちの奥さん、この人もちょっと、いくらなんでも、かわいそうすぎませんか?他人の不始末で本人以上に気を病み不眠になって休日一日目のの午後だというのに疲労の極点に達したみたいな状態である。さすがに、ひでえなあと思います。奥さん気の毒、ほんとうにすいません。でもいつも感謝してます。

予約していたので午後から美容院に行く。妻にお金を借りて。店の子に「昨日の夜飲み過ぎて酔っ払って財布失くしちゃってさー!!」と言って、髪を切ってもらってるあいだずっとその話をわめき続ける。今日どんな感じにします?短めで?と言われて、うんいつもの通りでいい、っていうかそんなことどうでもいいわ適当でいいわそれより話聞いてよと言って喋り続ける。しかし、ああそうなんだよなと思うのだけど、なぜ自分のちょっとした不幸話をするのが僕は好きなのか、というか、よく財布を落とすのは、もしかしたらそういう話を人にしたいからではないのかとも思う。あるいはこのブログにそれを書きたくてわざわざものを落としてるのではないかとも思う、なんちてまさか、そんなことはないと思うが、まあそういう話をしてあげたときの相手の、えー!うわあ、、、こいつやっとるわ、やってもうた感すごいな、すげえバカ、かわいそう、もし私なら地獄、ていうか私は絶対にそれはない、財布失くすは私的にはありえない、たぶんこいつバカなんだろうな、でも言ってくださいよー、私がいたら拾ってあげたのにー、、という感じのいかにもな反応が、いいねーまさにこれだねという感じでひとしきり盛り上がる。美容師のMさんに髪切ってもらってもう十何年、もしかして二十年近く経つのかもしれないけど、久々に新鮮、今日は良かった。年下だけど姐さんっぽさが良かった。人の不幸好きでしょ。楽しいよね、そういうのを喜んでほしいわけです。

夕食のとき妻に、昨晩深夜に僕が帰宅したときの状況をあらためて聞いた。まあなにしろ、泥酔してるので、のれんに腕押しな、何を言ってもまさにムダみたいな、妻からしたら、ほんとうに暖簾に腕押しのすべてが無駄にしか思えぬ虚無の領域だったらしくて、しかし僕が泥酔して帰宅するのは、過去もう何十回も何百回もあったことで、そのたびに妻はそんな僕を寝室に連れていったり、着替えさせたり、色々とご面倒な、まあ度々お手数をおかけしているのですが、さすがに財布なくすのは、まあ、、年に一度くらいなので、それはさすがに怒られますけど、でもそういう事態で、本気で怒って、本気で色々言いたい、問い詰めたい、ほんとうの訳を聞きたい、と思うことが、そんな深夜のひとときにあったとしても、そんなときのあなたは、だいたいいつも、泥酔していて、だからそのときに何を言っても、あなたはいつもそれを、次の日には完全に忘れているのね、私が心のそこから、本気で、怒りに身を震わせてあなたに向かって目を向けても、あなたはそれに気づかない、きれいさっぱり忘れている、そしてまるで無かったことになってる、その熱は、思いは、けしてあなたに届かない、なぜならあなたは、そのとき実質的にはそこにいないのだから、酔って、ふらふらで、眠ってしまって、それで翌朝になったら、何もおぼえていないのだから、だから私は、いつも本当の怒りをあなたに向けたことがない、今まで一度だって、それを出来たためしがないのね。そんなことを彼女は言っていたのか言ってないのか、それはわからない。なぜなら僕は、たぶんそのとき、そこにいなかったのだから。

でもそんな形の小さなお財布だったら、それを財布だと認識できない人は多いはず。財布というよりもキーケースだと思うんじゃない?昨晩電話で確認済みだとしても、だったらやっぱり店にあって保管されてるかも、失くした財布の形状を説明したらそう応えたのは昼過ぎの美容院で話していたMさんだ。なるほどそうかもしれない、じゃあ今夜もう一度店に行ってみるかなと思って、それでもし財布が見つかったらMさんお手柄だから缶チュウハイ一ケースプレゼントするからと言って、わー嬉しい待ってますよと言って、夕食後に妻にもその旨話して、えー?またお店行くの?これから?と妻はうかぬ顔ながらまあ再確認はすべきとの趣旨には同意してくれたので再び出掛ける支度を。事情を話すために行くだけなのに、なんでお店に向かって出掛けるときって、楽しい思いに胸が高鳴るような思いになるのでしょうか。いやいや、さすがに今日は飲みに行くわけじゃなくて…との思いで店のドアを開ける。昨晩の店長じゃなくて別のバーテンダーが暇そうにしていた。開店直後の無人のカウンターに座ってあらためて事情を話す。いやあ…昨夜は、忘れ物は無いですね、念のため一応見てみましょうか、と言って、わざわざ懐中電灯で暗い店内の床をざっと確認してくれる。こちらは「無い」と聞いた時点で、もうすでにあきらめがついたというか、かえって気持ちがさっぱりして、もう心を切り替えようと思った。生ビールくださいと言ったら、へえ珍しいじゃないですかと言われた。伝票によると昨夜はマティーニともう一杯何かをお飲みになって、お支払いされて退店されたみたいですね。きっとお財布は店を出てからご自宅までの間で落とされたんでしょうね、昨夜だと常連のあの人が真ん中へんに座ってらしたんじゃないですか?自分も片付けのために店に戻ったのが3時頃でしたけど、まだあの人はいましたね。ああそうかもですねえと相槌を打ちながら、ぼんやりとモニターを眺めた。「ホテル・シュヴァリエ」のナタリー・ポートマンが抱き寄せられてぐっと身を仰け反らせていた。今日のバーテンダーは年間に映画を千本近く観る人で、小津が好きな人で、そういう人と話してると、油断するとすぐ長くなってしまうので非常に危険で、今日はだらだら何時間も呑んで帰ったらそれこそ帰宅後に刺されるので、もう帰りますよと言って会計して店を出た。あいかわらずの暑い夜。